日本市場におけるサーブ・99
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:35 UTC 版)
「サーブ・99」の記事における「日本市場におけるサーブ・99」の解説
日本には1970年秋の東京モーターショーで初公開され、西武自動車販売の手で輸入されたが、当初の輸入台数は年間十数台程度の微々たるものであった。自動車専門誌カーグラフィックは1971年2ドア、1973年4ドア2.0L、1974年EMSと毎年のようにロードインプレッションに99を採り上げたが、2.0L以外は雪道での記述が中心で、雪国向けの特殊な車種の紹介という色彩が強かった。1977年排ガス規制強化によりサーブは日本市場から一時撤退、1978年に51年規制をクリアした99GLEコンビ・クーペで再登場した。パワーステアリング・AT付きのこのモデルは日本市場に比較的適しており、当時著名だった随筆家松山猛が愛用するなどインテリ層の支持を集め、徐々に販売台数も上向きはじめたが、1980年には米国市場のモデル交代に合わせ900ターボ3ドア、GLE5ドアにバトンタッチすることになった。輸入モデルは全て丸型4灯式ヘッドライト、左ハンドルの対米仕様車ベースで、1974年頃のモデルの場合、運転席シートベルトを締めないとエンジンが始動できないというシステムまで組み込まれていた。
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