日本メソジスト教会時代
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「栗村左衛八」の記事における「日本メソジスト教会時代」の解説
1875年(明治8年)にロバート・S・マクレイに就いて神学を治める。 1877年(明治10年)、横浜で開かれた第4回美以宣教師年会で栗村と飛鳥賢次郎、工藤友也、菊池卓平、阿部賢郎、小杉良平、相原英賢を合わせた9名が、米国年会に允許によって、最初のメソジスト派の日本人伝道者に任命された。 伝道者の准允を受けると、福富町講義所で伝道をする。1878年(明治11年)に執事按手礼を受ける。この年の6月12日、R・S・マクレイと長老派の宣教師J・H・バラの立ち合いのもとで、日本基督公会(現、日本キリスト教会横浜海岸教会)で桑名藩士小山正武の妹いさ子と結婚式を挙げる。 1881年(明治14年)に名古屋教会(現、日本キリスト教団名古屋中央教会)の初代牧師に就任する。1882年(明治15年)に東京築地教会に赴任する。 1883年(明治16年)に長老の按手礼を受ける。また、この年第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として参加する。 東京英和学校(現・青山学院大学)の設立にも参与として尽力する。1884年(明治17年)に日本メソヂスト横浜教会牧師、1887年(明治20年)には熊本メソヂスト教会(現・日本キリスト教団熊本白川教会)、久留米教会(現、久留米東町教会)、福岡教会(福岡中部教会)、鹿児島教会(現・日本キリスト教団鹿児島加治屋町教会)、名古屋第二教会、戸部(現・日本キリスト教団横浜上原教会)、八戸(八戸小中野教会)を歴任する。 1904年(明治37年)には青森教会(現・日本キリスト教団青森教会)に赴任して1914年まで青森で牧会する。その後、茨城県水海道町(現・常総市)、千葉県八日市場町(現・匝瑳市)、群馬県佐波郡島村(現・伊勢崎市)の島村教会(現・日本キリスト教団島村教会)などの教会を歴任する。 1925年(大正14年)に牧師を引退して、福岡連回長老、南九州連回長老司などを兼任する。1929年(昭和4年)に死去する。 日本キリスト教団本庄教会の教会墓地に栗村の墓石が残っている。
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