日本プロレスのワールドリーグ戦とは? わかりやすく解説

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日本プロレスのワールドリーグ戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 19:59 UTC 版)

ワールドリーグ戦」の記事における「日本プロレスのワールドリーグ戦」の解説

1950年代前半プロレス戦後間もない頃で多く日本人欧米への劣等感募らせていた背景から、力道山外国人レスラー空手チョップなぎ倒す姿は街頭テレビ中心に人気得て国民的な人気になった。しかし、1950年代後半になると徐々に人気下火になり低迷迎えつつありテコ入れ余儀なくされていた。 日本プロレスは、1957年日本テレビレギュラー放送を行う契約結んだ。これと同時にルー・テーズ招聘乗り出した同年10月7日10月13日に、力道山ルー・テーズNWA世界ヘビー級王座をかけて対戦両日とも多く観客訪れて興行大成功をした。 そして、低迷期脱すべくさらなる策として行われたのが『ワールド大リーグ戦』である。 このリーグ戦世界各地域代表するプロレスラー日本呼び寄せ総当りリーグ戦チャンピオンの座を争うという、プロレス興行としては当時世界類を見ないものであった1959年第1回大会が行われ、試合会場連日多く観客訪れ興行大成功のうちに終わった以降毎年このリーグ戦が行われるようになり、下降気味になっていたプロレス人気は再び息を吹き返した。 大会名第5回までが『ワールド大リーグ戦』、第6回以降が『ワールドリーグ戦となっている。 なお、ワールドリーグ戦は「総当り戦」という形式ではあったが、同時に外国人勢(外人組)と日本勢日本もしくは迎撃側)との対抗戦」という体裁取っていた。そのため、外国人日本側の対戦や、外国人同士対戦組まれたが、日本同士対戦不文律として一切行われなかった。 この形式は後にJDスター女子プロレスの「LEAGUE PRINCESS」やJWP女子プロレスの「オープンクラス・チャレンジリーグ戦」などに採用されている。 分裂後後身一つ全日本プロレスチャンピオン・カーニバルはこのワールドリーグとほぼ同じ時期にあり、全日本プロレスシングル戦線において、三冠ヘビー級選手権並び最大目標にして最高の名誉とされている。

※この「日本プロレスのワールドリーグ戦」の解説は、「ワールドリーグ戦」の解説の一部です。
「日本プロレスのワールドリーグ戦」を含む「ワールドリーグ戦」の記事については、「ワールドリーグ戦」の概要を参照ください。

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