日本のハウス・ミュージックとは? わかりやすく解説

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日本のハウス・ミュージック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 20:16 UTC 版)

ハウス (音楽)」の記事における「日本のハウス・ミュージック」の解説

日本では1980年代後半頃より、アメリカでのハウス・ブームに呼応する形で、ハウスDJ登場するようになった先駆的な活動行ったDJとして1980年単身ニューヨーク渡りハウス日本伝導した高橋透がいる。高橋透1989年芝浦クラブGOLD立ち上げ伴って帰国、同店のサウンドディレクター及び毎週土曜日メインDJとして活躍したGOLD毎週金曜日には当時若手であった木村コウ (KO KIMURA) もプレイしていた。 ニューヨークへ渡りフランキー・ナックルズらと交流深め巨大ディスコ「The Saint」のDJとして日本人初め抜擢され中村直 (NAO NAKAMURA) は、その後、約10年間、ニューヨーククラブシーンの最前線活躍したが、彼もまた芝浦GOLD立ち上げ合わせて帰国活躍したまた、1985年より活動開始し1989年に「コニーズ・パーティ」のレジデントDJその後芝浦GOLD土曜レジデント務めたEMMA先駆者一人である。 1980年代後半渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動行った富家哲 (SATOSHI TOMIIE)、1990年ディー・ライト一員としてアメリカで『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒット記録したテイ・トウワ作曲家リミキサーとして活動している寺田創一らもシーン与えた影響大きい。 芝浦GOLD出現人気上昇、及び後を追うようにしてオープンした西麻布YELLOWなど、ハウス中心とするクラブオープンまた、音楽雑誌AERAでも記事になるなど、ハウス対す注目度高まった。そして前述ラリーフランキー、トニー・ハンフリーズ、ティミー・レジスフォード、デヴィッド・モラレス、ルイ・ヴェガなど、海外著名DJ頻繁に来日するようになった近年では、ニューヨーククラブシーンで異例ヒットとなったSay That You Love Me」(2001年)のakや、Studio ApartmentJazztronik大沢伸一田中知之 (Fantastic Plastic Machine) のように、日本人ハウスアーティストも現れるようになった日本においてハウス人気全盛期ほどではないが、根強いファンにより、小規模ながら様々なクラブイベントやパーティー催されている。

※この「日本のハウス・ミュージック」の解説は、「ハウス (音楽)」の解説の一部です。
「日本のハウス・ミュージック」を含む「ハウス (音楽)」の記事については、「ハウス (音楽)」の概要を参照ください。

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