日本のハウス・ミュージック
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「ハウス (音楽)」の記事における「日本のハウス・ミュージック」の解説
日本では1980年代後半頃より、アメリカでのハウス・ブームに呼応する形で、ハウスDJが登場するようになった。先駆的な活動を行ったDJとして、1980年に単身ニューヨークに渡り、ハウスを日本に伝導した高橋透がいる。高橋透は1989年、芝浦のクラブ、GOLDの立ち上げに伴って帰国、同店のサウンドディレクター及び毎週土曜日のメインDJとして活躍した。GOLDの毎週金曜日には当時、若手であった木村コウ (KO KIMURA) もプレイしていた。 ニューヨークへ渡り、フランキー・ナックルズらと交流を深め、巨大ディスコ「The Saint」のDJとして日本人で初めて抜擢された中村直 (NAO NAKAMURA) は、その後、約10年間、ニューヨーククラブシーンの最前線で活躍したが、彼もまた芝浦GOLDの立ち上げ合わせて帰国、活躍した。また、1985年より活動を開始し、1989年に「コニーズ・パーティ」のレジデントDJ、その後、芝浦GOLD土曜のレジデントを務めたEMMAも先駆者の一人である。 1980年代後半に渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動を行った富家哲 (SATOSHI TOMIIE)、1990年にディー・ライトの一員としてアメリカで『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒットを記録したテイ・トウワ、作曲家、リミキサーとして活動している寺田創一らもシーンに与えた影響は大きい。 芝浦GOLDの出現、人気上昇、及び後を追うようにしてオープンした西麻布YELLOWなど、ハウスを中心とするクラブがオープン、また、音楽雑誌やAERAでも記事になるなど、ハウスに対する注目度が高まった。そして前述のラリーやフランキー、トニー・ハンフリーズ、ティミー・レジスフォード、デヴィッド・モラレス、ルイ・ヴェガなど、海外の著名DJも頻繁に来日するようになった。近年では、ニューヨーククラブシーンで異例のヒットとなった「Say That You Love Me」(2001年)のakや、Studio Apartment、Jazztronik、大沢伸一、田中知之 (Fantastic Plastic Machine) のように、日本人ハウスアーティストも現れるようになった。 日本においてハウスの人気は全盛期ほどではないが、根強いファンにより、小規模ながら様々なクラブイベントやパーティーが催されている。
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