日本のハワイアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 06:58 UTC 版)
日本にハワイアンスタイルの音楽が伝播、紹介された起源は不明で、日本からハワイへ移民や出稼ぎに交易が盛んになった明治中期以降では、1933年(昭和8年)ホノルル出身日系2世のバッキー白片が来日。1939年(昭和14年)日本青年館で第1回アロハ・ハワイアンズ発表会を開催し、その後バッキー白片は日本に帰化しバッキー白片とアロハ・ハワイアンズを結成、ハワイアン音楽の普及に努めている。敗戦後、アメリカ兵が持ち込んだハワイアンを日本人ミュージシャンも演奏するようになった。戦時下に敵性音楽として弾圧規制された反動からハワイアン音楽同様にジャズや続くカントリーなどを扱う多くのミュージシャンやバンドが登場している。日本の代表的なハワイアン歌手、ミュージシャンとしては、バッキー白片、ポス宮崎、大橋節夫、和田弘とマヒナスターズ、ダニー飯田とパラダイス・キング、ベティ稲田、エセル中田、南かおる、浜れい子、日野てる子らがいた。
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