日本における独学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 19:24 UTC 版)
近代的な学校制度が導入される明治時代までの日本では、農民や商人が学問に目覚めた場合、書物を読み、独学のかたわら同好の士と文通し、師を求めるという学校によらない学習手段が一般的であった。国文学の賀茂真淵と本居宣長は生涯において直接対面したのは松坂の一夜限りであったが、以後、手紙のやりとりで師弟として学問の継承、発展に寄与した。 考古学者の鳥居龍蔵と植物学者の牧野富太郎もそうした方法によって研究者になった。彼らは裕福な家庭に生まれたため、学校で立身出世する必要性を感じなかったことも大きい。ついには東京帝国大学を研究の場とした彼らであったが、大学ではすでに学歴が幅を利かせるようになっており、学歴のない者は差別的な扱いに苦しむこととなった。 明治時代、東京専門学校(現: 早稲田大学)が『早稲田講義録』を発行し、貧しくて高等教育を受けられない人々に大いに活用された。第二次世界大戦前は中学講義録や英語講義録、電気講義録、囲碁講義録などさまざまな講義録が発行され、中等・高等教育の大衆化に大いに寄与した。
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