日刊社会タイムスとは? わかりやすく解説

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日刊社会タイムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 03:12 UTC 版)

社会タイムス」の記事における「日刊社会タイムス」の解説

1952年社会主義政党日刊機関紙が必要であると考えた江田三郎中心となって創刊された。左派社会党とは独立した形で発行するため、党とは別に社会タイムス社という会社つくって創刊されている。社会タイムス社の社長に小説家青野季吉据えられ江田専務おさまった。他に、清水幾太郎取締役就任したり、田宮虎彦小説連載加藤芳郎漫画担当するなど、当時進歩的知識人多く協力した記者には、分裂前に社会党機関紙記者をしていたもののほかに、レッドパージによって新聞社追い出され記者新たに雇われた。(イデオロギー固執しない江田口利きで) 社会タイムスレッドパージされた腕の良い記者執筆したため、紙面面白さで、飛ぶよう売れたという。(発行部数十数論調は、逆コース再軍備反対し、非武装中立求めるもので、左派社会党方針基づいていた。また商業紙ではあまり取り上げられない社会運動動向多く掲載することが創刊号において抱負として語られていた。レッドパージ組の記者中には勝手に日本共産党見解載せるものもあり、左派社会党内では度々問題視された。 新産別細谷松太が「左派社会党日刊機関紙時期尚早。すぐに行き詰まる」と予言したように、執筆陣意気込みとは裏腹に経営危うさ当初から懸念されていた。そして、細谷予言どおり、経営はすぐに行き詰ったなぜならば社会タイムス社が販売委託した左派社会党支部労組は、社会タイムス社が新聞をただでくれている思い無料党員組合員新聞配って購読料徴収しようとはしなかったからである。こうして売掛金回収失敗から社会タイムス社はわずか2年倒産したあとには莫大な借金残ったが、太田薫はこの借金は、左派社会党幹部だった和田博雄押し付けられたと主張している。一方左派社会党関係者は、社会タイムス社の借金総評社会党再統一によって不要となった左派社会党事務所売却して返した主張している。 とにかく、はっきり言える事は、社会タイムス社の倒産によって、機関紙日刊化の旗振り役だった江田三郎対す左派内の信頼感低下したということである。このことは後の構造改革論争の際に、江田に悪い影響与えることになる。 その後1957年東京では社会タイムス復活させるため、社会タイムス新社設立され週刊社会タイムス発行されたが、うまくいかず1960年にはつぶれてしまった。なお、このときの編集長清水慎三だった。 社会タイムス失敗は、社会党、特に左派機関紙活動への積極性長く失わせることになった1970年代社会主義協会派の山本政弘社会党機関紙局長となった時、山本らは社会タイムスの例を引いて機関紙活動定期配布紙代回収までが任務繰り返し強調した山本機関紙局長時代の「社会新報大幅拡大累積赤字解消は、社会タイムス教訓あったからともいえる。

※この「日刊社会タイムス」の解説は、「社会タイムス」の解説の一部です。
「日刊社会タイムス」を含む「社会タイムス」の記事については、「社会タイムス」の概要を参照ください。

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