日中の禅宗比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)
中村元は『日本人の思惟方法』において、民族性からくる思惟傾向に応じた日本と中国の仏教の性質の相違について考察し、禅宗においても日本と中国とでは教義が同一でなく、中国人の思惟方法が非論理的かつ苛酷残忍であることを反映するかたちで、中国の禅宗も隠遁的・独善的であるのに対し、日本人の思惟方法が寛容と愛情を強調することを反映するかたちで、日本の禅宗も宥和的・慈悲的なものへと変化しているのだという。中村は日本人の思惟の特徴に寛容性があるとして、これを反映して日本の禅宗は宥和的・慈悲的なものへと変化しており、日本人は国内においてもそれはそれでゆゆしき宗派であるとして敬意を払いながらも、ただ自分は別の道を行くというだけであって、キリスト教でいうプロテスタントのように論理的に争おうとはしなかった、と主張した。 日本の仏教は諸宗派がそれぞれの特徴を保持したまま今日まで維持発展しており、禅宗においてもこれは同様であるが、宗教法人制度が確立される明治初期頃までは禅宗内で臨済曹洞の宗を超えて他派の修行道場で指導者に師事する「遍参」という修行習慣が残っていた。一方、後の中国では禅宗(とりわけ臨済宗)を称するものが多数派、内容的には念仏禅が主流となり、文革の宗教弾圧後の復興を経た現在の中国大陸においては、清代の史跡を中心とするチベット仏教の寺院が都心部などで散見されるほかは、浄土教的要素が混淆した禅宗が一様化して残るのみとなった。結果として、二種類の中国禅や日本禅の古法の一部を継承する台湾や香港、華厳禅(曹渓宗)の韓国を除けば、今日の中国大陸では日本にあるようなセクト主義的な諸宗派の伝統はほぼ消失している。
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