施設大隊
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「自衛隊カンボジア派遣」の記事における「施設大隊」の解説
9月11日に、独立部隊(師団・旅団隷下でなく防衛庁長官直轄)である第1次カンボジア派遣施設大隊を編成した。同大隊を9月17日以降カンボジアに出国させた。 第1次派遣施設大隊は、中部方面隊隷下の第4施設団(京都府宇治市)を基幹として、第3師団(兵庫県伊丹市)、第10師団(名古屋市)、第13師団(広島県海田町)等の要員を以て編成された。この中には2005年(平成17年)に第5次イラク復興支援群長となった太田清彦もいた。 第2次派遣施設大隊は、北部方面隊隷下の第3施設団(恵庭市)を基幹として、第2師団(旭川市)、第5師団(帯広市)、第7師団(千歳市)、第11師団(札幌市)等の要員を以て編成された。 1992年9月17日に呉港から海上自衛隊の輸送艦等により第1次派遣施設大隊の一部の隊員がカンボジアへ向けて出港した。 9月23日及び24日に航空自衛隊小牧基地を航空自衛隊輸送機により出発した第1次派遣施設大隊の第1次先遣隊は、25日及び26日にカンボジアヘ到着した。 10月3日及び4日に第2次次先遣隊の一部が、10月14日には本隊が到着した。10月28日に道路等の補修作業に着手した。第1次派遣大隊は1993年4月10日までに帰国し、第1次派遣大隊は4月14日に編成が解かれた。 やはり独立部隊である第2次派遣施設大隊は、1993年3月8日に編成を完結し、3月29日以降出国した。4月8日に第2次派遣施設大隊は第1次派遣施設大隊から指揮権を承継した。第2次派遣大隊は1993年(平成5年)9月26日に編成が解かれた。 施設大隊には約220名の本部管理中隊が置かれて後方支援などを担当した。また、現地の医療状況、自然環境及び自衛隊の自己完結性から、医官3名、歯科医官1名を含む約20名の衛生班が置かれた。 施設大隊の作業用主要装備は、油圧ショベル、75式ドーザ、トラック、浄水セット、82式指揮通信車、89式地雷原探知機セットなどである。
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