方円社から日本棋院へとは? わかりやすく解説

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方円社から日本棋院へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/20 08:03 UTC 版)

加藤信」の記事における「方円社から日本棋院へ」の解説

東京市芝区三田で7人兄弟次男として生まれ13歳時に父の打つのを見て碁を覚える。その後めざましく上達し、父は専門棋士にしようと17歳時に広瀬平治郎入門させ、内弟子となる。18歳方円社より初段許され21歳二段23歳三段当時広瀬道場大い賑わっており、加藤稽古にあたって多忙の中、萬朝報始めとする新聞棋戦にも出場するうになる1916年大正5年)に四段となった時に独立1919年五段、1921年六段1920年大正9年)に広瀬方円社となってからは事務所丸ビル移転計画尽力し1922年大正11年)に広瀬倒れると副社長格の岩佐銈とともに計画引き継いで、翌1923年本因坊派と合同による中央棋院設立し丸ビル移転を果たす。中央棋院では会計担当していたが、経営窮状から資金運用巡って本因坊派と対立することになり、再度方円社本因坊派の中央棋院分裂1924年大正13)年に碁界合同日本棋院設立参加するが、同年脱退して棋正社参加。しかし棋正社行き詰まり見えると、1926年離脱して日本棋院復帰1931年昭和6年)、大手合制度で初となる七段昇段1932年時事新報主催三七段巴状戦に鈴木為次郎瀬越憲作とともに参加し、3勝1敗の成績優勝

※この「方円社から日本棋院へ」の解説は、「加藤信」の解説の一部です。
「方円社から日本棋院へ」を含む「加藤信」の記事については、「加藤信」の概要を参照ください。

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