新米長玉とは? わかりやすく解説

新米長玉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 06:30 UTC 版)

米長玉」の記事における「新米長玉」の解説

米長邦雄ボンクラーズ 2012年1月14日における第一回将棋電王戦コンピュータ将棋ボンクラーズ対戦した米長は、初手▲7六歩に対し2手目△6二玉と指し、これを米長自身が新米長玉と称したボナンザ開発者保木邦仁が、ボナンザ系のソフトに対して有効な手として米長紹介したものであり、その意図はソフトの序盤データ無効化することにある。序盤米長が厚みを築いたが、中盤一瞬の隙を突いたボンクラーズ勝利した2011年12月21日プレマッチ早指しコンピュータ有利)でも、米長は2手目△6二玉と指しており、事前にこの「秘策」を当てる趣向懸賞問題日本将棋連盟より出題された。プレマッチ敗れた米長対し保木は「(本番で)△6二玉はやめて欲しい」と伝えるが、この手優秀さ認めていた米長聞き入れなかった。 ボンクラーズとの練習将棋100局以上指した米長は、ボンクラーズ初手▲7六歩に対しては2手目△6二玉が最善主張し一部メディア奇策評されたことに繰り返し反発しており、今後評価待ちたいとしている。 この「新米長玉」の名前は1983年昭和58年1月大山康晴王将第32期王将戦第2局後手居飛車側の引き角-玉頭位取り先手▲6六銀型位取り振り飛車後手4四の地点薄くなったので、▲5五歩から銀を5五の地点進出したため、△3三玉と受ける形になったこの玉の位置を「新米長玉とでも呼んでくれ」としたもの。同シリーズでは第4局でも同様の▲7七玉型将棋指し勝利した米長最終的にシリーズ制して王将位を奪取した。 △米長邦雄 持ち駒 歩 ▲大山康晴 持ち駒 歩図は△3三玉まで 米長はその前年1982年6月に『角落ち 決戦大駒落(近代将棋企画)「櫛田陽一都名人」vs米長邦雄棋王」』で居飛車相手に△2二飛を指すために玉を2二から3三玉としている。この△2二飛-△3三玉型王将戦同年早指し選手権決勝でも披露しており、対峙した後手番で優勝した真部一男同年での自戦記タイトルに「早指し戦 新米長玉と戦う」(『将棋世界1983年5月号 p156~161)と付けている。このときの戦型後手真部早石田後手米長が▲6八玉の石田封じ見せたので、真部居飛車将棋切り替えたのだった珍玉#中段玉の「難攻不落銀立ち陣」も参照

※この「新米長玉」の解説は、「米長玉」の解説の一部です。
「新米長玉」を含む「米長玉」の記事については、「米長玉」の概要を参照ください。

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