新粒子の発見と拡散型霧箱の発明(1930年代)
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1932年、カール・デイヴィッド・アンダーソンは、磁場中で霧箱の観測をしていると、電子と同じ質量で反対の向きに曲がる飛跡を発見した。これはポール・ディラックが予言していた陽電子を立証するものであった。この発見がきっかけでディラックは翌1933年にノーベル賞を受賞し、アンダーソンも1936年にノーベル賞を受賞した。 さらにアンダーソンは1935年、電子と陽子の中間の曲がり方をする飛跡を発見した。陽子の質量は電子の1800倍であるが、この粒子は電子の200倍の質量であった。この粒子は発見当初、湯川秀樹が予言した中間子であると考えられていたが、その後ミュー粒子(ミューオン)と判明した。 1930年代には霧箱自体にも大きな変化が見られた。1931年、ジュセッペ・オキャリーニは計数管を使用して霧箱を自動で膨張させる装置を開発し、ブラケットと共同で実験を行った。また、1939年、A.ラングスドルフによって拡散霧箱が発明された。これらはその後の霧箱に大きな影響を与えた。
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