新字体・漢字制限
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 15:53 UTC 版)
「日本における漢字」の記事における「新字体・漢字制限」の解説
「漢字廃止論」も参照 江戸時代中期における国学の勃興以来、日本語の文字の改革について議論があり、漢字の廃止や制限などが議論されていた。1923年(大正12年)に選定された常用漢字表を皮切りとして、1940年に日本陸軍が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、兵器の名に使える漢字を1235字に制限した。1942年には国語審議会が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している。 GHQの占領下の1946年(昭和21年)、占領方針として漢字の廃止が政府決定され、廃止までの当面使用する漢字である1850字の当用漢字を定めた当用漢字表が告示された。1949年(昭和24年)に告示された当用漢字字体表によって俗字、略字、筆写体を多く採用した新字体が使われるようになった。ただし、新字体は俗字や略字の採用であり、体系的な字体の簡略化ではないとして、漢字の体系を破壊した、と批判されることがある。例えば、「竜(龍)」と「襲(襲)」と「滝(瀧)」、「仮(假)」と「暇(暇)」、「独(獨)」と「触(觸)」と「濁(濁)」などは、本来は同じ構成要素を持つにもかかわらず、字体の変更により別の構成要素に見えてしまうものである。また、1948年に当用漢字のうち義務教育で教える881字を選んだ当用漢字別表が告示された。これは教育漢字と呼ばれ、1958年、この881字について便宜上統一した筆順が文部省から刊行された。1981年内閣告示の常用漢字表(1945字)からは漢字表は漢字制限を目指すものではなく目安となった。さらに2010年改定の常用漢字表には2136字が定めれている。そのうち教育漢字は1026字となった。 詳細は「国語国字問題」を参照
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