新井ビル
名称: | 新井ビル |
ふりがな: | あらいびる |
登録番号: | 27 - 0021 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建,建築面積254㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正11 |
代表都道府県: | 大阪府 |
所在地: | 大阪府大阪市中央区今橋2-1-1 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 日本近代建築総覧 (社)大阪府建築士会編『近代大阪の建築』(ぎょうせい、1984) |
施工者: | |
解説文: | 鉄筋コンクリート4階建、1階正面の玄関部分は4本のドリス式オーダーを並べた重厚な外観になる。もと銀行店舗として建設されたもので、内部は中央が吹き抜けとなり2階周囲に個室を稗史階以上は事務室とする構成になる。設計河合浩蔵、施工清水組。 |
新井ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 08:19 UTC 版)
新井ビル | |
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情報 | |
旧名称 | 報徳銀行大阪支店 |
用途 | 店舗・事務所 |
旧用途 | 銀行 証券会社 |
設計者 | 河合建築事務所(河合浩蔵) |
施工 | 清水組 |
管理運営 | 新井株式会社 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
建築面積 | 254 m² |
階数 | 4階 |
竣工 | 1922年(大正11年) |
所在地 | 大阪府大阪市中央区今橋2丁目1-1 |
座標 | 北緯34度41分26.8秒 東経135度30分23秒 / 北緯34.690778度 東経135.50639度座標: 北緯34度41分26.8秒 東経135度30分23秒 / 北緯34.690778度 東経135.50639度 |
文化財 | 国の登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 1997年(平成9年)7月15日 |
新井ビル (あらいビル)は大阪府大阪市中央区にある歴史的建築物。
概要
東京の官庁集中計画に関わった河合浩蔵が、大阪控訴院の設計をきっかけに関西で関わったものの一つで、当初、報徳銀行大阪支店として建てられた[1]。1階は花崗岩の石積みで、2階より上はタイル張りで仕上げられている[2]。正面中央に列柱が配された、左右対称のデザイン。左右2か所に出入口があり、左側が1階の洋菓子店、右側は3・4階の貸事務所に通じている[3]。当時のヨーロッパの新しい潮流が採り入れられ、幾何学的に簡略にデザインされた装飾が特徴である[4]。
報徳銀行は昭和金融恐慌で倒産。輸入雑貨商の新井末吉が1927年に北浜で設立した新井証券は、1934年にこの建物[注釈 1]を取得して本店機能を移し、新井ビルと命名した。地下と1・2階を自社使用、3・4階は貸事務所としていた。第二次世界大戦中には金属類回収令のためバルコニーの鉄柵やエレベーターが失われた[5]。
1976年に新井真一が社長に就任した当時、新井ビルを8階建ての新たな建物に建替える計画が持ち上がったが、懇意にしていた清家清を通じて日本建築学会から保存要請があったこともあり、計画は撤回された。1976年には、1・2階にステーキレストラン「弘得社スエヒロ」が営業を開始した。2005年からは、洋菓子店「五感」が営業している[5]。
1997年に登録有形文化財(建造物)に登録された[6]。また、生きた建築ミュージアム・大阪セレクションに選定されている。
入居者
1階の、かつての銀行の営業室[2]では洋菓子店「五感」、2階では五感の喫茶サロンが営業している[3]。地下には理髪店、3・4階は建築設計事務所や法律事務所、デザイン事務所、フランス語教室など複数のテナントが入居しているが、原則として関係者以外の見学は受け付けていない[7]。
交通アクセス
周辺情報
脚注
注釈
出典
参考文献
- 高岡伸一、倉方俊輔、嘉名光市 『生きた建築大阪』140B、2015年、64-65頁。ISBN 978-4-903993-22-5。
外部リンク
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