新しい指標の設定と楽しい数学 1963年-1970年代
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「数学教育協議会」の記事における「新しい指標の設定と楽しい数学 1963年-1970年代」の解説
脱退事件によって数教協内部の対立は取り除かれ、また、会の設立目的だった「生活単元学習の排除」が実現したので、新しい「数学教育協議会指標」が作られた。「指標」は1963年(昭和38年)の第11回大会で提案され、1965年(昭和40年)の第13回大会で最終決定された。第一項には「憲法と教育基本法を貫く平和と民主主義の教育を実現することをめざす」とうたわれ、運動形態として第四項に「強い団結力を持つ有機的な集団でなければならない」ことや「会員の創意を尊重する自由討議の雰囲気」と「自由討議の上で決定された方針はあくまで守っていくこと」を会員に求めている。 発足時に10名ほどだった参加者は、1964年(昭和39年)の第10回大会では700人近い人数となった。その後は研究の重点は教育内容から授業の方法へと移動していった。その中で「タイル」「水槽」「ブラックボックス」「空き箱」などの教具が生み出された。1972年(昭和47年)8月の大会で遠山は「楽しい学校を作ろう」というタイトルで講演。これが数教協が「楽しい授業」を実践していく契機になったといわれる。 翌年の大会でも「数学の楽しさとは」というタイトルで講演が行われ、1977年(昭和52年)には仮説実験授業の提唱者板倉聖宣らによる「楽しい授業」というパネル講演も行われた。一方で、問題解決型要素を持たせた実践も、数教協において1970年代以降に実施されている。
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