文字ヶ関村の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:17 UTC 版)
周防灘 関門海峡 企救郡 文字ヶ関村 田野浦 門司 楠原 小森江 柳ヶ浦村 東郷村 松ヶ江村 豊前国であった門司市の前身である.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}文字ヶ関(もじがせき)村は、1889年(明治22年)、町村制施行に伴って、楠原郷の田野浦(たのうら)村(むら)(明治20年、田野浦町を合併)、門司(もじ)村(明治20年、楠原(くすばる)村を合併)、柳郷の小森江(こもりえ)村の3村が合併して成立した。当時の戸数は570戸、人口は3060人であった。役場は、中央の旧門司村に設けられた。企救郡、旧小倉藩領に属し、廃藩置県後は日田県、小倉県を経て1876年(明治9年)以降は福岡県に属していた。 なお、合併後の村名については、当初、門司村としようとしていたが、田野浦村から異議があり、文字ヶ関村となった。 合併前の村名明治22年当時の人口現在の地域田野浦村1,115 門司区田野浦1-3丁目、鳴竹1-2丁目、大久保2-3丁目、清見3-4丁目、新開、田野浦海岸、太刀浦海岸、田野浦 門司村旧門司村1,687 門司区本町、栄町、錦町、老松町、東本町1-2丁目、浜町、港町、東港町、旧門司1-2丁目、門司 旧楠原村門司区庄司町、東門司1-2丁目、清見1-4丁目、畑田町、大久保1-3丁目、法師庵、花月園、上本町、谷町1-2丁目、長谷1-2丁目、丸山1-4丁目、丸山吉野町、丸山町、清滝1-4丁目、元清滝、広石1-2丁目、西海岸1-3丁目、葛葉1-2丁目、風師1-3丁目 小森江村258 門司区小森江1-3丁目、南本町、大里元町、矢筈町、羽山1-2丁目、片上町、片上海岸、二タ松町、風師2-4丁目、葛葉1-3丁目、北川町、小森江、西海岸3丁目 文字ヶ関村の成立とともに、大里地区には柳ヶ浦村、企救半島の周防灘側には東郷村と松ヶ江村が成立した。 当時の文字ヶ関村は、塩田が広がる漁村であった。しかし、1888年(明治21年)に九州鉄道が設立されて1891年(明治24年)に門司駅(現門司港駅)が開業し、九州鉄道の本社も博多から門司に移転した。また、1889年(明治22年)には、門司築港会社による門司港の埋立てと船溜りの建設が始まるとともに、国の特別輸出港に指定され、石炭、硫黄、米、麦、小麦粉の5品目の取扱いを許された。これにより、門司港は、筑豊から鉄道で運ばれた石炭を輸出する港として急速に発展した。
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