数学的な理由における自明性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/07 07:14 UTC 版)
「自明性 (数学)」の記事における「数学的な理由における自明性」の解説
自明なはまた証明の任意の容易な場合(英語版)のことも言うだろう。これは完全性のために無視できない。例えば、数学的帰納法による証明は2つのパートからなる。n = 0 あるいは n = 1 のような特定の最初の値に対して定理が正しいことを示す "base case" と、それから n のある値に対して定理が正しいならば値 n + 1 に対してもまた正しいことを証明する inductive step である。base case が難しいが inductive step が自明な場合もあるが、base case はしばしば自明でありそのようなものとして確認される。同様に、ある性質がある集合のすべての元によって持たれていると証明したいかもしれない。証明の主要な部分は空でない集合の場合を考え、元を詳細に検査するであろう。集合が空の場合には、性質は自明にすべての元によって持たれている、なぜならば元がないからである。(en:Vacuous truth も参照。) 数学コミュニティにおけるよくあるジョークは、「自明な」(trivial) は「証明された」 (proved) と同義であると言うことである — つまり、任意の定理は一度正しいとわかれば「自明である」と考えることができる。別のジョークは定理について議論している 2 人の数学者に関係する。最初の数学者は定理が「自明である」と言う。もう1人の説明の要求に返事として彼は20分間解説を続ける。説明の終わりに、二番目の数学者は定理は自明であることに賛同する。これらのジョークは自明性の判断の主観性を指摘する。ジョークはまた最初の数学者が定理は自明だと言うが彼自身はそれを証明できないときにも適用する。しばしば、ジョークとして、定理はこのとき「直感的に明らか」(intuitively obvious) と呼ばれる。微分積分学の経験を積んだ人は例えば ∫ 0 1 x 2 d x = 1 3 {\displaystyle \int _{0}^{1}x^{2}\,dx={\frac {1}{3}}} という主張を自明と考えるだろう。だが微分積分学の初学者にとってこれは全く明らかではないだろう。 自明性は文脈にも依存する。関数解析における証明はおそらく、ある数が与えられると、より大きい数の存在を自明に仮定するだろう。だが初等整数論において自然数についての基本的な結果を証明するとき、証明は任意の自然数は次の数を持つというリマーク(そしてこれはそれ自身において証明されるあるいは公理として取られるべきである、ペアノの公理参照)にかなり依るだろう。
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