散楽と劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。 竿木は、唐代には特に盛んであった。高い竿を頭に乗せて動く、あるいは、他の者が、頭に乗った状態の竿に登る技芸であった。登る人の軽業も筋斗(とんぼ)や逆立ちを組み合わせた。竿の上に物を載せることもあった。 縄伎は綱渡りのことであり、音楽に合わせて高下駄をはいた女性が縄の上でお互いに交差するもの、長竿を足に結んで渡るもの、渡るものの肩の上に二人が乗るものなど変化の多かった。 馬伎は、教坊にいる内人の女性によって行われ、鎧を着て、馬に乗り、弓を射て、刀剣を扱うもので、馬上で様々な技芸を行い、多数で様々な陣を形作った。 滑稽劇は、従来からの舞踏劇に加え、唐代には「参軍戯」という滑稽な演劇が流行した。参軍戯は、動作や台詞に加えて、音楽や歌舞もあり、女優もいた。参軍戯を得意とするものは、宮廷のみならず、民間にもいた。また、「踏揺娘」という歩きながら歌う滑稽な歌舞劇も生まれた。舞踏劇では、「大面戯」という蘭陵王を題材にとったものがよく行われた。 人形劇は唐代には盛んであり、人形は「傀儡子」、人形劇は「傀儡戯」と呼ばれた。糸で関節が動く木彫りの人形を操って動かすもので、精巧な人形が巧みに動かされて、演劇が行われたと伝えられる。「郭公」という禿頭の滑稽劇が人気であった。 散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅で行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。 安史の乱以後は、散楽も、各地の節度使のもとや地方の州で行われるようになった。
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