教育者の側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:05 UTC 版)
京都帝国大学時代には湯川秀樹、朝永振一郎らも岡の講義を受けており、物理学の授業よりもよほど刺激的だったと語っている。 一時期、広島文理科大学時代に精神不安定状態に陥り、学生による講義のボイコットなども経験したが、奈良女子大学時代には、与えられた任務には何事も全身全霊で取り組むという彼の性格から、女子教育に関する論文を書くなど、教育にも心を配った。 広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まった時、未解決問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。その内容は、一般的に考えるのでは問題があまりに難しいから、様々な制限条件を付けた形でまずは研究しようという提案であった。その時、岡が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限条件を付けるのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる。 奈良女子大学退官後、京都産業大学教授となり「日本民族」を講義した。 晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。また日本民族は知が不得手であるため、西洋的なインスピレーションより東洋的な情操・情緒を大切にすることで分別智と無差別智の働きにより知を身につけるべきと提唱している。さらに現代日本は自他弁別本能、理性主義、合理主義、物質主義、共産主義などにより「汚染されている」と警鐘を鳴らし、これらを無明と位置づけ、心の彩りを神代調に戻し生命の喜びを感じることで無限に捨てるべきと述べた。
※この「教育者の側面」の解説は、「岡潔」の解説の一部です。
「教育者の側面」を含む「岡潔」の記事については、「岡潔」の概要を参照ください。
- 教育者の側面のページへのリンク