教育者としての蓮田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 15:59 UTC 版)
蓮田善明は教育者としても峻烈で独特の厳しい面を持ち、山本五十六が戦死した際、朝の集会で皆が黙祷をしている最中に、何人かの生徒がゾロゾロと平気で遅れて入って来た時に、彼らの頬を次々と叩いたというエピソードはよく知られているが、蓮田は他にも多くの逸話があり、生徒が教科書にカバーを付けることを禁じていた。 当時は教科書を大事にし、汚すまいという心掛けから表紙にカバーを付けるのは普通のことであったが、蓮田は、それを「敬虔なようで実はけちくさい心理である」と見抜き、カバーを付ける行為は一見、教科書をきれいに丁寧に扱うようではあるが、実は「教科書の本質を否定するもの」と蓮田は断じた。 教科書の本質とは、「その内容をいかに理解するか」であるゆえに、蓮田は生徒らに、〈すべからく教科書は汚すべし。書きこみで一杯にして汚すべし。年度末にはズタズタになるほど汚して、その内容をわが物にせよ〉と訓示をした。
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