教育者としての楳嶺とは? わかりやすく解説

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教育者としての楳嶺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 22:02 UTC 版)

幸野楳嶺」の記事における「教育者としての楳嶺」の解説

楳嶺画家というよりも教育者として名高く貢献大きい。楳嶺自身もそれを自覚していたようで、様々な逸話残っている。若い楳嶺がある時、京で外れることがない評判観相家に、「俺は日本一流画家になることができるか?」と尋ねた。すると、その観相家は「気の毒だ一流絵師はなれない。しかし、二流絵描きにはなる。そして、おまえさん育てた者の中から天下一流の絵描きが必ず出る。だから弟子育てなさい」と答えた。それを聞いた楳嶺は「自分一流画家なれないのは残念だが、これも天運ならば仕方がない。俺は子弟教育して天下第一流の者をつくりだしてやろう」と決意したという。後年弟子たちにこの逸話話し、「俺はお前たち踏み台なのだから、遠慮なく俺を踏み台にして、俺よりも偉い者になってくれなくては困る」と言って励ましたまた、その場その場応じ適切な指導したエピソードも多い。門人たちが女の話をしていると「その女のどこが美しかった言ってみろ」「ただ美しいと思うだけでは絵描きなれない。どこが美しいか研究しなければいけない」と諭し弟子庭掃除をしていると、「そんな掃き方をしたら、緑青ではムラになるぞ。どこから初めてどう掃くか、最初に目的決めて順序を目で測ってやれ」と注意した火事起こり門人慌てて見に行こうとすると、「写生帳を持ってきたか」「いえ、持ってまいりません」「写生帳を持たず出てきて何になる。早く持って行ってこい」と説いた厳しく徹底的に基礎教育をする代わりに基礎出来た自由にさせていたようである。また、常に門弟たちを引き立たせるようにしていたようでもある。門弟が少し慢心していると絵の批評痛烈にやるが、やや悲観している者があると拙い絵でも褒めてやり、その匙加減絶妙だったという。

※この「教育者としての楳嶺」の解説は、「幸野楳嶺」の解説の一部です。
「教育者としての楳嶺」を含む「幸野楳嶺」の記事については、「幸野楳嶺」の概要を参照ください。

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