教皇ボニファティウス8世との対立とは? わかりやすく解説

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教皇ボニファティウス8世との対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 07:19 UTC 版)

フィリップ4世 (フランス王)」の記事における「教皇ボニファティウス8世との対立」の解説

戦費調達のための教会課税は、教皇至上主義掲げローマ教皇ボニファティウス8世との激しい対立もたらした敬虔なキリスト教フランス教皇庁にとって収入源として重要な地位占めていたため、教会課税教皇にとって大きな痛手だったのである。そのためボニファティウス8世は、1300年を「聖年」に定めて盛大な祭典挙行し、全聖職者ローマ巡礼強制して死後の天国行き確約した。そのため、ローマは何万という巡礼者であふれかえった。さらにボニファティウス8世は、1302年に「ウナム・サンクタム唯一聖なる)」という教皇回勅発し教皇権威は他のあらゆる地上権力優越する宣し、さらにフィリップ4世対し教皇の命に従うよう促した1302年フィリップ4世国内支持を得るために、聖職者貴族市民の3身分からなる三部会」と呼ばれる議会パリノートルダム大聖堂設けフランス国益宣伝して支持求めた人びとフランス人意識高まりフィリップ4世汎ヨーロッパ的な価値観強要する教皇に対して国内世論味方につけた。これに対し怒ったボニファティウス8世フィリップ4世破門しフィリップ側も悪徳教皇弾劾公会議を開くよう求めて両者決裂した1303年フィリップ4世は、腹心レジスト法曹官僚ギヨーム・ド・ノガレ命じ教皇捕縛謀ったノガレ両親はかつて異端審問裁判火刑処せられていたため復讐燃えており、教皇政敵財産没収国外追放の刑を受けていたコロンナ家一族結託してローマ市南東方の教皇離宮所在地アナーニ襲撃したアナーニ事件)。ノガレとシアラ・コロンナは、教皇御座所侵入しボニファティウス8世を「異端者」と面罵して退位迫り弾劾公会議出席するよう求めた教皇捕縛には失敗したが、辱められボニファティウス8世憤死し、1305年フィリップ4世次の教皇フランス出身クレメンス5世擁立した

※この「教皇ボニファティウス8世との対立」の解説は、「フィリップ4世 (フランス王)」の解説の一部です。
「教皇ボニファティウス8世との対立」を含む「フィリップ4世 (フランス王)」の記事については、「フィリップ4世 (フランス王)」の概要を参照ください。

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