教会の沿革とは? わかりやすく解説

教会の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 09:19 UTC 版)

日本基督教団弘前教会教会堂」の記事における「教会の沿革」の解説

教会設立1875年で、横浜から帰郷し東奥義塾(現:東奥義塾高等学校塾長となっていた本多庸一や一緒に弘前来て東奥義塾英語教師となっていた宣教師ジョン・イングらにより設立された、東北地方で最も古い教会であるとともに全国でも7番目に古いプロテスタント教会である。 1875年明治8年6月6日東奥義塾の旧弘前藩士族である上級生14名に洗礼授けた7月3日に7人に洗礼授けた。そこで、10月2日本多庸一弘前公会設立した横浜東京につぐ長老派3番目の公会である。横浜公会にならい超教派主義であった詳細は「弘前バンド」を参照 1876年明治9年)、本多長老派であったが、弘前公会長老派よりメソジスト派編入され1876年10月2日弘前メソジスト教会成立する同年婦人受洗者があった。 1877年明治10年)から教会学校開かれ四季会が出来て礼拝堂敷地元寺町定められた。当時差別されていた町や土手町にも講義所設立されて、中田千代、重治親子が出席するようになった1878年明治11年本多庸一執事按手受けて黒石青森伝道開始したイング去った後は、デビソンが宣教師として来たが一年函館行ったその後宣教師はいなかった。さらに和徳町にも講義所設けられた。 1880年最初の教会堂が建設された。1885年本多相原英賢牧師引き継いで仙台転任する。その頃、カロライン・ライトの出資により、来徳女学校教会内に設立された。 中田久吉牧師であった1900年明治33年)に、創立25周年記念して、「弘前美以教会略史」を編纂した。これを元に後に、1925年大正15年)に五十年史1955年昭和30年)に八十年史編纂した1941年日本基督教団設立によって、日本基督教団所属教会になり、今日に至る。

※この「教会の沿革」の解説は、「日本基督教団弘前教会教会堂」の解説の一部です。
「教会の沿革」を含む「日本基督教団弘前教会教会堂」の記事については、「日本基督教団弘前教会教会堂」の概要を参照ください。

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