救助の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:07 UTC 版)
「クルスク (原子力潜水艦)」の記事における「救助の試み」の解説
アメリカ、イギリス、ノルウェーの各海軍が支援を申し出たが、ロシアはすべての支援を拒否した。クルスクの乗員118名(准士官以上・下士官兵の合計)は全て殉職した。ロシア海軍省は当初、乗組員の大多数は爆発後数分以内に死んだと一般の人々に対し伝えたが、8月21日、ノルウェーとロシアの潜水士は第9区画にある艦尾のタービン室で24体の遺体を発見した。ドミトリー・コレスニコフ大尉は艦の沈没後にその区画で生きていた23名の乗組員の名前を列挙したメモを書き残していた。 クルスクは、緊急時に二酸化炭素を吸収し化学作用によって酸素を放出する目的で使用される化学酸素発生装置(英語版)の超酸化カリウムのカートリッジを艦載していた。しかしながらカートリッジは海水に汚染され、結果として生じた化学反応が利用可能な酸素を消費する突発的な火事を引き起こしてしまった。調査によって数名の乗組員が水中に飛び込むことで一時的に火災を生き延びたことが明らかになった。これは隔壁上の火災痕跡から、その時点で水が腰の高さまであったことが分かったためである。最終的に、火災を生き延びた乗組員も窒息によって死亡した。 118人が死亡した原子力潜水艦沈没事故であったが、当局は即座に情報を公開しなかった。ロシア大統領ウラジーミル・プーチンはこの悲劇について直ちに知らされていたが、状況は制御できており救助が今にも始まると海軍から説明を受けていた。彼は黒海に面したソチの大統領保養地で休暇を終えるまで5日間待機した。大衆とメディアは海辺の保養地に留まるというプーチンの決断を酷評し、それまでの非常に好意的であった評価は劇的に落ち込んだ。大統領の対応が無情に思われ、また政府の行動は無能に見えた。1年後、プーチンは「私はおそらくモスクワへ帰ってくるべきだったのだろうが、事態は何も変わらなかっただろう。ソチにいてもモスクワにいても私は同程度の情報を得ただろうが、宣伝的観点から言えば私は帰ろうとする特別な熱情を示すこともできただろう」と語った。
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