政治的背景について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 21:10 UTC 版)
作品執筆時の政治・社会的状況を踏まえた以下のような考察もある。鬼頭七美は、1949年に安吾が入院して以降、天皇への信仰を含む狂信や宗教心が文学的テーマに据えられていると指摘し、作中に呪術的な場面や姫への民衆の狂信が描かれていることなどから、民衆の狂信を扱った『山の神殺人』(1953年)『保久呂天皇』(1954年)などに連なる作品として本作を位置づけている。鬼頭によれば耳男による姫の刺殺は「人間の個としての主体性を確保」することを示す表現であり、その背景にあるものは、戦後の天皇信仰の復活に対する安吾の危機感であった。また青木純一は、『夜長姫と耳男』の同年に発表された随筆『もう軍備はいらない』で安吾が原子爆弾と政治・文化の関係を再論していることをふまえ、「破壊の女神」夜長姫には原子爆弾のイメージが仮託されているのではないかとしている。 加藤達彦は、人々の大量死を高楼から見守る夜長姫に「戦争」のイメージを見て取りつつ、彼女は安吾の言う「自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない」(『教祖の文学』)、「ただの人間」像を「極度に純粋化」したものでもあるとし、耳男による彼女の刺殺はその安吾的な「人間」のあり方を耳男自身が内に宿すための「究極の試練」であるとした。加藤によればこの作品は、戦後、「国民統御のシステム」が推進されつつあった日本における「人間」の回復が目指された作品ということになる。
※この「政治的背景について」の解説は、「夜長姫と耳男」の解説の一部です。
「政治的背景について」を含む「夜長姫と耳男」の記事については、「夜長姫と耳男」の概要を参照ください。
- 政治的背景についてのページへのリンク