政治的自由獲得労農同盟と旧労農党系の分裂
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「労働者農民党 (1928)」の記事における「政治的自由獲得労農同盟と旧労農党系の分裂」の解説
同時に、共産党は新党組織準備会を「政治的自由獲得労農同盟」(政獲同盟)に改組し、合法政党結成の放棄を強引に押しつけた。しかし政獲同盟は共産党の外郭団体とみなされて厳しい弾圧を受け、山本宣治・渡辺政之輔の労農葬を例外として、ほとんど大衆運動を組織することができなかった。また、旧労農党の右派を代表した新党組織準備会京都府連の水谷長三郎らは叛旗を翻し、翌1929年1月に地方無産政党「労農大衆党」を結成、他の地方無産政党とともに無産政党統一運動を展開した。当時、日大党を脱退していた旧無産大衆党系(東京無産党など)はこの運動に呼応し、その後、日大党からの提案により7月全国大衆党の結成へ合流した。
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