政治的結束とユニオニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/15 09:43 UTC 版)
「ルーマニア・モルドバ統一運動」の記事における「政治的結束とユニオニズム」の解説
1991年8月27日の独立のあと、モルドバではルーマニアの国旗を模しモルドバの国章を乗せた国旗が採用され、国歌には「目覚めよ、ルーマニア人!」が採用された。 その後モルドバ人民戦線とスネグル大統領の間で特に統一について溝が深まり、大統領はモルドバ農業党(英語版)に近づき、アンドレイ・サンゲリ(Andrei Sangheli)を首相に任命した。その結果、特に1994年の農業党の勝利以降、モルドバはルーマニアと距離をおき始めた。国旗が若干変更され、国歌は「我らが言葉(Limba Noastră)」に変えられた。1994年の国民投票では、暗黙の内にルーマニアとの連合を行わないことを意図する「モルドバの独立」が多くの公人に見られた。さらに、1994年に採択された憲法では、モルドバ農業党と社会党(英語版)の議会は以前の独立宣言でルーマニア語と定められた公用語をモルドバ語と改めた。また、1996年にスネグル大統領は公用語を再びルーマニア語に変えようと試みたが、これは議会に「ルーマニアの拡大主義を促進する」ものであるとして退けられた。 国家政策概要は共産党が支配する議会で2003年に採択され、モルドバ人とルーマニア人を異なるものとし、ルーマニア人をモルドバの少数民族とした。 2005年まで、モルドバ人民戦線の相続政党であるキリスト教民主人民党(英語版)が唯一ルーマニアとの統合を積極的に支持していた。しかしながら、キリスト教民主人民党は与党であるモルドバ共産党との密接な協力を始めた後にこの考えを変えている。 2009年4月の選挙によって、国民自由党(英語版)と欧州行動運動(英語版)がルーマニアとの緩やかな連合を基礎として選挙を行ったが、わずか1%程度しか得票できなかった。
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