政治と思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 14:40 UTC 版)
山路愛山の文学観は、明治26年(1893年)に北村透谷との間に展開された論争に見られる。愛山は、『国民之友』に掲載した「頼襄を論ず」(頼山陽を論じた)の中で「文章即ち事業なり。……若(も)し世を益せずんば空の空なるのみ。(中略)文章は事実なるがゆえに崇むべし」と論じたのに対し、透谷は自身が主催する『文学界』に寄稿した「人生に相渉るは何の謂ぞ」の中で「〔愛山は〕「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻りに純文学の領地を襲わんとす」と反発し、文学者が史論家のように「事業」をなすために文を作るのではないこと、「勝利」を至上目的にするわけではないことを弁護しようとしたのである。この愛山と透谷の論争は、透谷の評論から「人生相渉論争」と呼ばれる。 この論争は、愛山が文学と政治を同一視し、さらには個人と国家の目的を分けようとしないこと、思想とは行動を引き起こさなければ無益であると考えていることを示した。 キリスト教に対する愛山の態度もこの通りであり、「余は正義と人情とを世界に植ゆる最後の手段はただ腕力に頼るの外なきを信ずる者なり」と考えていた。愛山の宗教上の模範は、鉄騎隊を率いたクロムウェルである。 平和にして無為な宗教ではなく、事業と行動を伴い思想を剣で強要する宗教である。このようにしてかれにとって帝国主義や社会主義は、国民を一致団結させ国家に事業を興させる手段であり、マキャヴェッリのように、祖国のために個人の意志は吸収され、国家そのものが崇拝の対象となる。
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