政権右派との抗争事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:33 UTC 版)
フランス共和国保安機動隊(CRS)は動乱の鎮圧にさいして、「市民行動サービス(SAC)」と「オキシデンタル・グループ(英語版)」のふたつのグループを組織した。 「SAC」は元レジスタンス剛腕政治家のシャルル・パスクワとアフリカ政策(とりわけ戦争状態にあったアルジェリア)の政府顧問ジャック・フォッカール(英語版)が設立に関与したド・ゴール大統領への徹底した忠誠が特徴の政府中枢肝いりの民兵組織だった。彼らは動乱の市民にまぎれこみ、さまざまな工作をおこない、運動で負傷した学生を兵舎本部の地下へと拘束した。その結果、彼らの行動はその忠誠が保守市民に認められ、5月30日におこなわれたド・ゴール支持のカウンターデモを人でいっぱいにした。自由をもとめる学生や市民の攻勢にもかかわらず、ド・ゴールはおおくの保守市民から手堅い支持を集めた。 「オキシデンタル・グループ(Occidental group)」は1964年に設立され、主に極右の学生で構成されていた。1968年時点で1500人の構成員がおり、将来保守政治家となるジェラール・ロンゲらが参加していた。構成員は生理的に共産主義を「毛嫌い」し、スローガンに「共産主義者とであったら、どこででも殺せ!」を掲げた白人至上主義であり、反ユダヤ主義であり、ベトナム戦争賛成派だった。その襲撃によって運動に参加した学生たちを蹴散らしたが、運動自体を弱める効果はなかった。結局最終的にマオイストやアナーキストとのあいだで抗争事件が勃発し、街頭での過激な暴力闘争となった。1968年10月31日ド・ゴール政権の手によって、解散させられた。
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