放浪 1875-78年とは? わかりやすく解説

放浪 1875-78年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 21:11 UTC 版)

アルチュール・ランボー」の記事における「放浪 1875-78年」の解説

1875年以降ランボーは詩を放棄し各地放浪しては病に倒れるなどしてシャルルヴィルロッシュ)に戻るという生活を繰り返した1875年5月シュトゥットガルト発って徒歩アルプス山脈越えてイタリア向かったミラノに着くと病に倒れ回復後中央イタリア向かってさらに南下したが、6月リヴォルノフランス領事によって本国送還された。ヴェルレーヌ宛のドラエーの手紙によると、スペイン語習得のためにスペイン軍隊志願したが、断念してパリ向かったパリ訪れた母、妹ヴィタリーイザベルとともに過ごした後、10月にはシャルルヴィル戻った12月18日、妹ヴィタリー17歳死去1876年4月ウィーン5月ブリュッセル経てロッテルダム向かいハルデルウェイクで6か月わたってオランダ領東インド駐屯する予定外人部隊入隊部隊6月ジャワ島向かいバタヴィア(現ジャカルタ)に到着したが、8月15日脱走パリ経て12月シャルルヴィル戻った1877年5月中頃ブレーメン米海軍志願する許可されず、ストックホルムコペンハーゲン経て12月シャルルヴィル戻った1878年10月20日ロッシュ発ってヴォージュ山脈越えてスイスミラノ経てジェノヴァ港到着。同港からアレクサンドリアエジプト行きの船に乗ったキプロス島ラルナカのエルネスト・ジャン&ティアル社に雇用され採石場現場監督務めたが、腸チフスによる発熱のため、翌79年5月ロッシュ戻った秋にキプロスに戻るためにマルセイユ向かったが、再び発熱しロッシュ戻った

※この「放浪 1875-78年」の解説は、「アルチュール・ランボー」の解説の一部です。
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