放浪と断筆の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 00:05 UTC 版)
勘助は『銀の匙』によって一躍注目を集める作家となったが、その後6年近くほとんど作品を発表せず、作家として沈黙を保った。そして、私生活の上では病兄や老母のいる小石川の実家には戻らず、各地を転遷し続ける隠遁生活を送った。 1920年(大正9年)2月、千葉県我孫子町我孫子(現・千葉県我孫子市)の高嶌貰治郎方に仮寓。当時、近辺に居住していた志賀直哉と交流を深める。この頃から我孫子を引き払うあたりの1923年11月までの日記は、のちに日記体随筆「沼のほとり」となる。同年4月17日、「提婆達多」を脱稿した。 同年11月、兄の発病を契機とした家庭内紛糾は、最終的に勘助が生家の世話を引き受けることで一応の収束を迎える。勘助は、家の基盤を整えるための財産整理として、小石川の実家を岩波茂雄に買い取ってもらった。そのため、家族を一時的に東京府東京市四谷区元町59番地に移らせたが、勘助は家族とともに四谷には移らず、我孫子に留まった。
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