改新騒動とは? わかりやすく解説

改新騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:10 UTC 版)

羽田孜」の記事における「改新騒動」の解説

細川政権政治改革コメ部分的自由化実現し新生党連立与党中核としてこれを支えたが、細川首相金銭スキャンダルなどを理由1994年平成6年4月8日電撃的辞意表明後継首相について小沢は、自民党渡辺美智雄に「渡辺さん派閥渡辺派)から多数同調者引き連れて合流すれば首相に擁立する」と持ちかけ、渡辺一時離党表明する同調者少数とどまり撤回結局連立与党後継首相に羽田推すことで合意し4月25日国会で羽田首相に指名された。ところがその直後連立与党のうち新生党日本新党民社党などが衆議院統一会派改新」を結成する発表改新総勢130議席で、与党第1党であった社会党74議席大きく上回るもので、社会党連立与党内での地位低下図った動きであった首相指名後の統一会派発表という事態に社会党委員長村山富市猛反発し、与党党首会談途中退席連立政権からの離脱発表し村山は「何の相談もなく連立枠組み大きく変えたことに、数で政治をろう断する意志ありありだ。連立政権性格からして許されない」と激しく批判、袂を分ちあった。羽田懸命に社会党連立復帰試みた功を奏せず4月28日羽田内閣少数与党内閣として発足した元来小沢羽田細川後継首相となることには、平成6年予算成立後政局見据え反対ないし消極的であり、渡辺美智雄との提携企図していたこともあって、羽田小沢の関係にひびが入り始める。ただ小沢が、細川後継首相に羽田擁立するのを躊躇したのは、乱世ゆえに「平時羽田」のキャリアが傷つくのを避けるためだったという見方もある。

※この「改新騒動」の解説は、「羽田孜」の解説の一部です。
「改新騒動」を含む「羽田孜」の記事については、「羽田孜」の概要を参照ください。

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