操業停止後の製塩所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/25 14:45 UTC 版)
「アル=ケ=スナンの王立製塩所」の記事における「操業停止後の製塩所」の解説
製塩所は革命期以降も存続したが、その経営は、生産効率が当初予想を下回ったことから苦しいものとなった。加えて、鉄道で運ばれた海水由来の塩との競争にもさらされたことや、製塩所の原料供給元である井戸には不純物が多かったことなどもあって、1895年に閉鎖され、荒れていった。1918年には落雷が原因で所長宅と礼拝堂が火事に遭った。 こうした惨状に対し、1923年になると、製塩所を史跡にしようとする動きも出てきた。長い予備審査を経て、1926年に史跡委員会によって好意的な決定が下された。当時、製塩所を所有していたのは、東部製塩所組合 (société des Salines de l'Est) だったが、彼らはこの決定に冷淡だった。1926年4月29日には建物の一部がダイナマイトで爆破され、周辺の木々も伐られた。こうしたこともあって、1927年にはドゥー県が買い取り、1930年から修復も行われた。 第二次世界大戦中には軍隊の駐屯地などにもなったが、そんな中での1940年2月20日に史跡に加えられたことが官報で公示された。 その後も地元の芸術家、作家、ジャーナリストたちが、世論や当局の関心を集めるためにキャンペーンを行ったりした。そして、1982年にはユネスコの世界遺産に登録された。 今日、施設は一般に公開されているが、そこには二つの展示館が存在している。ひとつは旧樽工場で、ここはルドゥー記念館 (le musée Ledoux) になっており、実現しなかったものの未来を先取りしていた数々の建築計画が、模型として展示されている。もうひとつは旧製塩工場群 (les bâtiments des sels) で、当時の姿を偲ぶ展示がされている。
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