摂津丸
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摂津丸(せっつまる)は、日本陸軍が大阪商船の名義で1945年(昭和20年)に竣工させた揚陸艦。上陸用舟艇の母艦機能を有し、陸軍特種船と呼ばれた。太平洋戦争末期の完成のため日本近海での輸送に使われ、機雷により損傷して航行不能の状態で終戦を迎えた。戦後は復員船として使用された後、日本水産(現・ニッスイ)の漁業工船へ改装、捕鯨やマグロ漁に従事した。1953年(昭和28年)に南極海で捕鯨操業中、配水管のバルブ操作を誤る事故により浸水し、沈没した。
注釈
- ^ 商船として実際に運航する意図があったかについては、所有船会社の関係者の立ち入りすら規制されていたことから、疑問視する見方がある[8]。
- ^ 「ときつ丸」は工事中の戦局悪化のため甲型仕様に設計変更されているが、終戦時未完成[5]。
- ^ 編制は以下の13隻[14]。捕鯨母船「橋立丸」、塩蔵工船「多度津丸」(タンカー改装)、冷凍工船「摂津丸」、鯨油中積用タンカー「玉栄丸」、1,000トン級冷凍船2隻、350トン級捕鯨船7隻。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k “なつかしい日本の汽船 摂津丸”. 長澤文雄. 2023年10月17日閲覧。
- ^ a b 日立造船株式会社 『八十周年を迎えて』 日立造船、1961年、61頁。
- ^ a b c d e f g 「新造船写真集No.4」 船舶技術協会『船の科学』第4巻第2号 1949年 巻頭図版
- ^ 岩重(2011年)、132頁。
- ^ a b c d e 岩重(2011年)、56頁。
- ^ 戦標船南氷洋を行く-資料編
- ^ a b c d 日本海難防止協会「新人のミスによって、消えうせた船/摂津丸」『海と安全』第42巻秋号(通巻538号)、社団法人日本海難防止協会、2008年8月25日、2-3頁。2016年10月26日閲覧
- ^ a b c 岩重(2009年)、10-11頁。
- ^ 岩重(2009年)、101頁。
- ^ 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年、345頁。
- ^ a b 下関防備隊 『下関防備隊戦闘詳報第一号 自昭和二十年三月二十七日 至昭和二十年四月三十日 対空戦闘及戦闘掃海』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08030392300、画像12、32枚目。
- ^ 二瓶忠雄 「遠きに在って想うものは祖国」『平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦(引揚編)』第3巻、平和祈念事業特別基金、1993年、278頁。
- ^ 木下富士男 「速射砲中隊 乗馬小隊始末記」『平和の礎 軍人軍属短期在職者が語り継ぐ労苦(恩欠編)』第3巻、平和祈念事業特別基金、1993年、189頁。
- ^ a b c d 日本水産(2011年) 本編、201-203頁。
- ^ 日本水産(2011年) 本編、607頁。
- ^ 大阪商船三井船舶株式会社 『大阪商船株式会社八十年史』 大阪商船三井船舶株式会社、1966年、455頁。
- ^ 日本水産(現・ニッスイ)(2011年) 本編、605頁。
- ^ a b c d 日本水産(2011年) 本編、233頁。
- ^ 日本水産(2011年) 本編、204、603頁。
- ^ a b c #板橋P.145
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