探検と郡成立以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 23:57 UTC 版)
「ワシタ郡 (ルイジアナ州)」の記事における「探検と郡成立以後」の解説
ワシタ郡は、アーカンソー州南部からルイジアナ州北部を流れるワシタ川と同じ名前が採られている。1541年、現在のワシタ郡領域に最初に足を踏み入れたヨーロッパ人は、スペインの探検家でコンキスタドールのエルナンド・デ・ソトだった。その遠征隊はホワイト川近くでミシシッピ川西岸に渡り、西岸の泥地を避けるためにワシタ川とテンサス川合流点近くでルイジアナに下った。1720年にはフランス人開拓者が地域に入ってきた。1769年、アレジャンドロ・オライリーがこの地域のスペイン領有を宣言した。この時に行われた国勢調査では人口110人だった。1785年、フアン・フィルヒオルがルイジアナでは初のヨーロッパ人による基地を設立し、ミロ砦と呼んだが、1805年には都市になった。ルイジアナ買収から16年後の1819年にミロ砦はワシタ砦と改名された。ワシタ砦は大きく成長したので、1820年頃には、ワシタ川を初めて航行した蒸気船に因んでモンロー市になった。1807年3月31日、オーリンズ準州が19の小区分を作った。ワシタ郡はこの最初の19郡の1つだが、その後さらに8つの郡に分割された。1853年、トレントンの北部にコットンポートが設立された。1882年、トレントンの町が法人化され、1886年には唯一市民憲章の定める町となった。1883年、ワシタ川に架かる最初の鉄道橋が建設された。1916年、モンロー天然ガス田が発見された。このガス田は広さ500平方マイル (1,300 km2) 以上に及び、6兆5,000立方フィート (1,800億 m3) の埋蔵量があると推計された。このことでモンロー市は一時期世界の天然ガス首都と呼ばれるようになった。1961年8月にスターリントンの町が法人化され、1974年にはリッチウッドが続いた。
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