拷問石と寒ざらしのツル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 07:31 UTC 版)
「カトリック浦上教会」の記事における「拷問石と寒ざらしのツル」の解説
境内の一角には、浦上四番崩れの際に山口県萩市に配流された信徒らが正座させられて棄教を迫られた「拷問石」が置かれている。花崗岩の庭の飛び石で、十字架が刻まれている。拷問石の上には太めの茎で編んだ葦簀(よしず)が敷かれ、その上に信徒が座らせられて拷問、説諭を受けた。 その中でも苛烈を極めたのが22歳の女性、岩永ツルへの拷問であった。彼女は腰巻き1枚の裸にされ、冬の寒い風の吹く中、震えながら石の上に正座させられた。夜になると裸のまま牢に帰され、昼にはまた石の上に正座させられた。一週間目には身体が埋もれるほどの大雪となったが雪の中に晒され続け、18日目には雪の中に倒れた。それでも棄教しなかったため、役人は改宗を諦めた。彼女は、1873年(明治6年)に浦上に帰った後、1925年(大正14年)12月に浦上の十字会(現:お告げのマリア修道会)で亡くなるまで、生涯を伝道に捧げた。 拷問石は牢番長だった寺本源七が供養のため自宅に持ち帰り、その子孫が保管していたが、1990年にカトリック萩教会に譲渡された。その後、「旅」(浦上四番崩れによる配流)を物語る遺品として譲渡を打診した当教会に寄贈され、2008年11月23日に石と案内板の除幕式が行われた。除幕式では、翌日のペトロ岐部と187殉教者の列福式に出席するために長崎を訪れていたローマ教皇代理で前列聖省長官のジョゼ・サライバ・マルティンス(英語版、イタリア語版、ラテン語版)枢機卿によって石が祝福された。
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拷問石と寒ざらしのツル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 01:58 UTC 版)
「浦上四番崩れ」の記事における「拷問石と寒ざらしのツル」の解説
浦上天主堂の境内の一角には、山口県萩市に配流された信徒らが正座させられ、棄教を迫られた「拷問石」が置かれている。花崗岩の庭の飛び石で、十字架が刻まれている。獄舎では、拷問石の上に太めの茎で編んだ葦簀(よしず)を敷き、全員がその上に座らせられ拷問、説諭を受けた。 その中でも苛烈を極めたのが、22歳の女性・岩永ツルへの拷問であった。彼女は腰巻き1枚の裸にされ、冬の寒い風の吹く中、震えながら石の上に正座させられた。夜になると裸のまま牢に帰され、昼にはまた石の上に正座させられた。1週間目には身体が埋もれるほどの大雪となったが雪の中に晒され続け、18日目には雪の中に倒れたが、それでも棄教しなかったため、役人は改宗を諦めた。彼女は1873年(明治6年)に浦上に帰った後、1925年(大正14年)12月に浦上の十字会で亡くなるまで、生涯を伝道に捧げた。 牢番長だった寺本源七が供養のため自宅に持ち帰った拷問石とされる石がある。寺本の子孫が保管していたが、1990年(平成2年)に萩教会に譲渡された。その後、「旅」を物語る遺品として譲渡を打診した浦上天主堂に寄贈され、2008年(平成20年)11月23日に石と案内板の除幕式が行われた。翌24日のペトロ岐部と187殉教者の列福式のため、教皇代理として来崎中であったジョゼ・サライバ・マルティンス枢機卿が石を祝福した。
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