戸張孤雁とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 工芸 > 彫刻家 > 戸張孤雁の意味・解説 

とばり‐こがん【戸張孤雁】

読み方:とばりこがん

[1882〜1927]彫刻家東京生まれ旧姓志村本名亀吉叙情味あふれる作品制作版画水彩画でも活躍


戸張孤雁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 14:47 UTC 版)

戸張孤雁
生誕 志村亀吉
1882年2月19日
東京府日本橋区本小田原町[1]
死没 (1927-12-09) 1927年12月9日(45歳没)
東京市
墓地 台東区谷中 大泉寺
国籍 日本
教育 ナショナル・アカデミーアート・ステューデンツ・リーグ[1]
著名な実績 彫刻、洋風挿絵版画
運動・動向 日本水彩画会、孤雁新東錦絵会、日本創作版画協会[1]
活動期間 1906年 - 1927年
影響を受けた
芸術家
荻原碌山[2]
影響を与えた
芸術家
小泉癸巳男[3]、喜多武四朗、山本豊市

戸張 孤雁(とばり こがん[2] / とはり こがん[4][5]明治15年(1882年2月19日 - 昭和2年(1927年12月19日)は、日本の彫刻家版画家、挿画家。本名は亀吉。

略歴

志村久蔵の長男に生まれ、後に母方の姓、戸張を継いだ。青年期には苦学して渡米、荻原守衛の跡をついだ彫刻家であり、創作版画の草分けの一人であったが、1910年代に「孤雁新東錦絵会」を創設、自作の版画の頒布会を開催し、浮世絵の技法による新版画も残している。洋風挿絵の先駆者としても知られる。渡米の際、荻原守衛と知り合ったことを機に彫刻を始めた。帰国後、彫塑を学びつつ、自刻の版画を制作、色調による量感の表現や輪郭線を使わず、独自の流動感を示した孤雁の没骨調の版画は、最大の特色といえる。代表作として、「千住大橋の雨」、「化粧」、「女」、「淵」などが挙げられる。大正11年(1922年)刊行の『創作版画と版画の作り方』は最初の単行技法書であった。墓所は台東区谷中の大泉寺。

年譜

  • 1882年 - 東京日本橋魚河岸に生まれる
  • 1895年 - 常盤小学校高等科3学年を修了
  • 1898年 - 日本銀行に採用される
  • 1899年 - 片山潜より英語を学ぶ
  • 1900年 - 日本銀行内書記補に昇進する
  • 1901年 - 渡米。メカニック・インスチチュート、ナショナル・アカデミーで挿絵、洋画(水彩画)を学ぶ
  • 1902年 - 荻原守衛と知り合う
  • 1903年 - アカデミーをやめアート・スチューデンツ・リーグへ通う
  • 1906年 - 病にて帰国
  • 1907年 - 東京日暮里に住む。徳富蘆花の『自然と人生』『不如帰』などの挿絵を描く
  • 1908年 - 『孤雁挿絵集壱巻』を刊行する
  • 1909年 - 中原悌二郎中村彝を知る。このころ朝倉文夫のところで塑造をおぼえる
  • 1910年 - 太平洋画研究所彫塑部に入る。第四回文展に彫刻を初出品する
  • 1911年 - 保田龍門を知る。荻原守衛遺稿『彫刻真髄』を編集
  • 1912年 - 中原悌二郎と交換モデルをはじめる
  • 1914年 - 武井直也、孤雁に師事する
  • 1916年 - 日本美術院彫刻部研究会員となり研究をはじめる。院友に推挙される
  • 1917年 - 院展に出品し同人に推挙される。喜多武四朗、山本豊市、孤雁に師事する
  • 1918年 - 日本版画会の発起人となり創立する
  • 1919年 - 日本版画会を日本創作版画協会とする
  • 1922年 - 『創作版画と版画の作り方』を編集上梓する
  • 1927年 - 自宅にて45歳で永眠[4]

作品

彫刻

新版画

  • 「麻の葉」 木版画 大正2年(1913年) 加藤版画研究所より

創作版画

  • 「玉のり」 木版画 大正3年(1914年) 千葉市美術館所蔵
  • 「小田原妓楼」 木版画 東京国立近代美術館所蔵
  • 「女の顔(女学生)」 木版画 東京国立近代美術館所蔵
  • 「麻の葉」 木版画 大正2年(1913年) 東京国立近代美術館所蔵
  • 「十二階」 木版画 東京国立近代美術館所蔵

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 戸張孤雁(とばり・こがん) (PDF)”. 近代版画家名覧(1900-1945). 版画堂. p. 70 (2017年3月16日). 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月6日閲覧。
  2. ^ a b 三木多聞, “戸張孤雁 とばりこがん”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館, https://archive.is/NkC4D#58% 
  3. ^ 小泉癸巳男”. 収蔵品データベース. 練馬区立美術館. 2017年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月3日閲覧。
  4. ^ a b 戸張孤雁とはり こがん”. 中村屋. 2019年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月3日閲覧。
  5. ^ 戸張孤雁 創作の軌跡-挿絵・油絵・版画・彫刻-展”. 碌山美術館. 2019年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月3日閲覧。
  6. ^ Korrekt Ryō'unkaku (凌雲閣), ein 1890 gebauter, 12-stöckiger, 52 m hoher Aussichtsturm in Asakusa, der beim Großes Kantō-Erdbeben 1923

参考文献

  • 吉田漱『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年
  • 『戸張孤雁と大正期の彫刻』

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、戸張孤雁に関するカテゴリがあります。




戸張孤雁と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戸張孤雁」の関連用語

戸張孤雁のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戸張孤雁のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戸張孤雁 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS