戸出御旅屋
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戸出御旅屋(といでおたや)は、現在の富山県高岡市戸出町にかつて存在した御旅屋。 3代藩主前田利常の命により、1642年(寛永19年)11月に建造されたもので、場所は現在の戸出町3丁目にあたる。敷地は「戸出の四つ角」から戸出野神社の参道に至る場所で、現在は北陸銀行戸出支店などがある。 建造当初の敷地面積は6,765m2(2,050坪)で、東西85m、南北90mに亘っていた。四方に高い土塀があり、正門を中心に三方には空堀が掘られ、裏側(南側)には深い水堀があった。敷地内には貯水池もつくられ、有事の際には城砦として使用できる建物だった。 1686年(貞享3年)8月、5代藩主前田綱紀の治世に加賀藩の所有していた戸出御旅屋は、当時の管理責任者の川合又右衛門(川合家)に無償で払い下げられた。戸出御旅屋が加賀藩の宿泊施設として使用されたのは、建築後45年間だけだった。 その後、建物は加賀藩有数の大庄屋だった川合家の屋敷として代々使用されたが、昭和時代初期に川合家から吉田仁平へ売却され、さらに1952年(昭和27年)には戸出町の所有となり、公民館として使用された。 1958年(昭和33年)、戸出町から民間へ払い下げられた際に門以外の建物は壊されてしまった。その後、門は町の有志により買い取られ、川合家の菩提寺である永安寺に人力で2晩かけて移動された。この門が現在の御旅屋門である。この門は高岡市指定文化財(建造物)に指定されている。 現在の戸出御旅屋跡には「戸出の高野槙」と呼ばれる樹齢約380年のコウヤマキが残っている。このコウヤマキは川合又右衛門が初代藩主前田利家を弔うために高野山に参拝した際に持ち帰ったと伝えられ、高岡市保存樹木に指定されている。右上の画像の左側の最も高い木が「戸出の高野槙」である。 また、加賀藩の時代から使われていた「御膳水井戸」も残っており、現在も枯れずに水が滾々と湧き出ている。この井戸水は歴代の加賀藩主も飲んでいたと考えられている。
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