戸出御旅屋とは? わかりやすく解説

戸出御旅屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:24 UTC 版)

御旅屋」の記事における「戸出御旅屋」の解説

戸出御旅屋(といでおたや)は、現在の富山県高岡市戸出町にかつて存在した御旅屋3代藩主前田利常の命により、1642年寛永19年11月建造されたもので、場所は現在の戸出町3丁目にあたる。敷地は「戸出四つ角」から戸出野神社参道に至る場所で、現在は北陸銀行戸出支店などがある。 建造当初敷地面積は6,765m2(2,050坪)で、東西85m、南北90mに亘っていた。四方に高い土塀があり、正門中心に三方には空堀掘られ裏側南側)には深い水堀があった。敷地内には貯水池つくられ有事の際には城砦として使用できる建物だった。 1686年貞享3年8月5代藩主前田綱紀治世加賀藩所有していた戸出御旅屋は、当時管理責任者川合又右衛門川合家)に無償払い下げられた。戸出御旅屋が加賀藩宿泊施設として使用されたのは、建築後45年間だけだったその後建物加賀藩有数大庄屋だった川合家の屋敷として代々使用されたが、昭和時代初期川合家から吉田仁平へ売却され、さらに1952年昭和27年)には戸出町所有となり、公民館として使用された。 1958年昭和33年)、戸出町から民間払い下げられた際に門以外の建物壊されてしまった。その後、門は町の有志により買い取られ川合家の菩提寺である永安寺人力で2晩かけて移動された。この門が現在の御旅屋門である。この門は高岡市指定文化財建造物)に指定されている。 現在の戸出御旅屋跡には「戸出高野槙」と呼ばれる樹齢380年コウヤマキ残っている。このコウヤマキ川合又右衛門初代藩主前田利家弔うために高野山参拝した際に持ち帰った伝えられ高岡市保存樹木指定されている。右上画像左側の最も高い木が「戸出高野槙」である。 また、加賀藩時代から使われていた「御膳井戸」も残っており、現在も枯れず滾々と湧き出ている。この井戸水歴代加賀藩主飲んでいたと考えられている。

※この「戸出御旅屋」の解説は、「御旅屋」の解説の一部です。
「戸出御旅屋」を含む「御旅屋」の記事については、「御旅屋」の概要を参照ください。

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