戦時色の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:33 UTC 版)
日華事変が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に武藤貞一「これが戦争だ」、国際小説と銘打って泉谷彦「くの一葉子」「大海戦未来記」などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊「輝く皇軍号」も発行。 1938年1月号から上塚貞雄(乾信一郎)が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、吉川英治「特急『亜細亜』」(梅原北明による代作)連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した鳴山草平などの時代小説、横溝、城、久生十蘭の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では宇野信夫、秘田余四郎や、山手樹一郎の時代小説、岡田誠三による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の共同印刷が空襲で焼かれて発行ができなくなった。
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