戦時統合と西鉄成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:52 UTC 版)
「九州鉄道 (2代)」の記事における「戦時統合と西鉄成立」の解説
九州鉄道の設立者である伊丹、松永らはのちに五大電力会社の一つ、東邦電力の経営にかかわった。東邦電力は北部九州をも事業区域とし、九州鉄道も東邦電力の傘下に入っていた。一方、のちの北九州線にあたる路線を運営していた九州電気軌道は北部九州を事業区域とする電力会社である九州水力電気の傘下に入っていた。東邦電力と九州水力電気は北部九州で事業区域が重複し競合していたため、それぞれの傘下にある九州鉄道と九州電気軌道も対立状態にあった。 しかし、1938年(昭和13年)に電力国家管理法が公布されたことで電力事業者は鉄道事業者株を手放さざるを得なくなったため、東邦電力は1940年(昭和15年)に自社が保有する九州鉄道株を九州電気軌道に譲渡した。当時の九州鉄道の社長であった進藤甲兵の反対もあったが、この譲渡により九州電気軌道は東邦電力に代わり九州鉄道最大の株主となった。同じく東邦電力が保有していた福博電車株式会社(のちの福岡市内線)の株式もやはり同時期に九州電気軌道に譲渡されている。 1942年(昭和17年)、九州鉄道は福博電車、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道に吸収合併された。その3日後に九州電気軌道は西日本鉄道と改称している。
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