戦時統合からはとバスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 07:17 UTC 版)
「東京遊覧乗合自動車」の記事における「戦時統合からはとバスへ」の解説
1935年(昭和10年)、親会社の東京乗合自動車が東京地下鉄道の傘下に入った。これにより社名を「東京遊覧乗合自動車」から「大東京遊覧自動車」に変更、社長に東京地下鉄道の創業者でもあった、早川徳次が就任した。 遊覧バス事業は、1940年(昭和15年)10月、戦時体制下の交通事業整理の名目で営業休止となる。大東京遊覧自動車は1941年(昭和16年)12月1日東京地下鉄道に合併され、さらに1942年(昭和17年)2月1日東京地下鉄道のバス事業が東京市に買収された。このため太平洋戦争後、遊覧バス事業の営業権は東京都が保有していた。元東京地下鉄道の社員であった山本龍男が東京都に対して払い下げを求める運動を開始した。山本龍男は日本観光を設立し、実績作りのため進駐軍向けの貸切バスの営業を開始した。 1948年(昭和23年)4月、都議会で東京都から代表者を送り運営するという付帯条件付きで、遊覧バス事業の営業権が日本観光に与えられることが決定した。8月、帝都高速度交通営団、日本交通公社、鉄道弘済会、東京都などの出資を得て、新日本観光として再出発。1963年(昭和38年)9月1日、新日本観光は、はとバスと改名した。
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