戦場での体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 07:02 UTC 版)
第二次大戦中に徴兵され、1942年(昭和17年)、当時日本軍の拠点であったラバウルに出征した。かつて画家志望であったことから宣伝班に転属され、日本兵の勝利のポスターやチラシを描いて敵軍を攪乱する「絵描き兵」に任命された。 1943年(昭和18年)5月、アメリカ軍海兵隊のウォルター・メベリー中尉(20歳代)が日本軍の捕虜となり、彼が宣伝班でアメリカのラジオの傍受(スパイ行為)を命じられるにあたり、滝口はその監視役に任命された。2人は共に生活するうちに、互いの誠実な性格により次第に親交を深めた。敵軍同士の壁を超えてメベリーと友情を育んだ滝口は、やがて戦争への怒り、反戦の心を抱き、メベリーと「戦争で生き残ったら平和のために尽くす」との約束を交わした。 翌1944年(昭和19年)2月、戦局の悪化にともない宣伝班は解散されて実戦に投入された。メベリーは憲兵隊に引き渡され、滝口のもとを去ったが、その後にアメリカ軍の爆撃に遭って死亡した。初の戦場で兵士たちの無残な死体の山を目にした滝口は、無念のまま死んだメベリーとの約束のため、戦争の愚かさを人々に伝えようと、戦争画の制作を開始した。1年半近くにおよぶ戦闘と絵描きの二重生活の最中、戦争画には戦場の惨状や兵士たちの無念さなど、最前線の戦地で目にしたあらゆる出来事が描かれ、その数は数百枚に昇った。 1945年(昭和20年)8月、終戦。しかし滝口が描きためた戦争画は、機密保持のためにすべて焼却されてしまった。滝口自身もその後は収容所で重労働を強いられる身となり、戦争画を描くこともままならなかった。
※この「戦場での体験」の解説は、「滝口岩夫」の解説の一部です。
「戦場での体験」を含む「滝口岩夫」の記事については、「滝口岩夫」の概要を参照ください。
- 戦場での体験のページへのリンク