戦争の膠着化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/25 15:49 UTC 版)
スコーネ戦争に戻ると、両者は共に自国の切り札を存分に使い、事々の戦闘で優位に立った(ただしスウェーデン陸軍は、スコーネ以外では決定的勝利を得られなかった)。また、スウェーデン海軍の弱体化は、結果的にデンマーク海軍の南バルト海進出を許し、ゴトランド島上陸もされたあげく、スウェーデンの大陸側の領土も占領される有様であった(キューゲ湾の海戦の敗北以後、スウェーデン海軍は壊滅的打撃を受け、大陸側への援軍も不可能となった)。スコーネ全土を取り戻したスウェーデン、一部のスウェーデン領土を占領したデンマークは、それ以上戦況は好転せず、結果的に戦争は膠着化し、厭戦気分が漂いだした1679年8月、両者はフランス王国の仲介により講和に同意した(実際にはフランスの軍事的圧力によって戦後処理が決定された)。オランダとスウェーデンも、同年10月にナイメーヘンの和約によって講和した。 スウェーデンは、1677年頃から和平を模索していたが、翌1678年にカール11世の側近であるユーハン・ユレンシェーナがコペンハーゲンに和平交渉のために向かっている。この交渉事の一つがカール11世とデンマーク王妹との婚約であった(両国の最終的な講和条約の締結によって結婚が成立した)。
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