悲劇の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:05 UTC 版)
「フランス・ルネサンスの文学」の記事における「悲劇の研究」の解説
人文主義者たちは、劇の翻訳者や受容者としての仕事と並び、演劇の構造、プロット、登場人物などの古典理論の研究も行った。ホラティウスは1540年代に訳されたが、その内容は中世を通じて見ることができるものであった。アリストテレスの『詩学』は1570年代にやっとイタリア語訳が出たが、これもまた極度に切り詰められた形ではあったけれど、13世紀にはイブン=ルシュドのラテン語訳によって広まっていたし、16世紀前半には他の翻訳も存在していた。なお重要なことは、全訳に先んじて、ジュール・セザール・スカリジェによる注釈(『詩学』1561年)が現れていたことである。これは彼の代表作であると同時に、フランス演劇が三一致の法則を導入する上で重要な役割を果たしたものの一つである。こうした前提は理論研究に寄与した。 4世紀の文法学者ディオメデス・グランマティクス(英語版)とアエリウス・ドナトゥスもまた、古典理論の拠り所となった。16世紀イタリア人は、古典演劇理論の出版と解釈において中心的な役割を果たし、彼らの作品はフランス演劇に大きな影響を及ぼした。ロドヴィコ・カステルヴェトロの『詩法』(1570年)はアリストテレスを基礎とするものであり、三一致の法則の最初の宣言の一つであった。この作品は、ジャン・ド・ラ・タイユの『悲劇の技芸』(1572年)に結びついた。ジャン・ジョルジョ・トリッシーノの悲劇のようなイタリアの演劇や、スペローネ・スペローニやジョヴァンニ・バッティスタ・ジラルディの作品が惹起したような礼儀作法を巡る論争も、フランスの伝統に影響した。
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