古典理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 14:32 UTC 版)
カール・ゲーゲンバウアーの「鰭原基」という概念は1876年に導入された。それは鰓弓から伸びた鰓条として「結合した軟骨の茎」として説明された。追加の条は鰓弓に沿って中央鰓条から隆起した。ゲーゲンバウアーは、全ての脊椎動物の対鰭と手足が鰭原基の形質転換だとする、形質転換ホモロジーのモデルを提唱したのである。この理論に基づけば、胸鰭や腹鰭など対の付属器官は分枝弓から分化して後方に移動したことになる。しかし、化石記録における形態学と系統学の両方で、この仮説に対する支持は限定的だった。しかも、腹鰭の前後移動という証拠はほぼ全くなかった。こうした鰓弓説の欠点は、セントジョージ・ジャクソン・ミヴァルト、フランシス・バルフォア、ジェームズ・キングスレイ・タッカーによって提唱された鰭ひだ説が有利になって、早々と終焉を迎えた。 鰭ひだ説は、対鰭が魚の体壁に沿った外側襞から発達したとの仮説である。正中鰭ひだの分節と出芽が正中鰭を発達させたように、側部鰭ひだに起因する分節や伸長と同じメカニズムが、対をなす胸鰭と腹鰭を発達させたのだと提唱された。しかし、化石記録では側部で襞から鰭へと変遷する証拠が殆ど無かった。さらに、胸鰭と腹鰭が異なる進化的起源かつ機構的起源から生じることが後年になって系統学的に示された。
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