恋愛の比較文化論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:10 UTC 版)
研究対象は恋愛の比較文化論で、博士論文『<男の恋>の文学史』では、従来、成立したものとしてしか論じられてこなかった恋愛を「片思い」の視点から記述、中世以前の日本文芸では、男の片思いは共感をもって描かれてきたが、徳川時代の文芸では、恋愛の主体が女性に移ると共に、もてる男が英雄視されるようになり、それが近代になって男の片思い文学が復活したと論じた。また『<男の恋>の文学史』の続編、『恋愛の昭和史』では、近代的な「恋愛」観念が国民的レベルで成立したのは昭和30年代であると主張し、大衆小説における恋愛観念の変遷を辿っている。 これら歴史的な研究と並行して、従来の恋愛研究の批判を展開する。博士論文の総論「日本恋愛文化論の陥穽」を収めた『男であることの困難』では、「恋愛」という概念が明治期に輸入されたという説に対し、それは徳川時代と比較しての話に過ぎないと論駁した。また『江戸幻想批判』では、徳川時代の遊里などを過剰に美化する風潮を批判している。これらは、歴史的事実をきちんと検証しないまま、現代人の願望を過去に投影して安易に書かれた「恋愛の比較文化研究」が、刊行・評価されることに危惧を表明したものである。 『江戸幻想批判』では佐伯順子の『遊女の文化史』を、中世に関しては成立している遊女神聖説を近世に適用したとして批判していたが、2007年の『日本売春史』では、中世に関してもそのような説は成立しないと主張、佐伯説を「密輸入」したなどとして網野善彦らをも批判している。なお同書は、古代から現代までの売春の変遷を辿ると同時に、各時代の売春が後世の都合によりどう解釈されてきたか追跡したものである。また2008年には『江戸幻想批判』の増補改訂版も刊行した。
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