微妙な冗語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 20:16 UTC 版)
中には、意味の冗長さは語をこえて、たとえば句のレベルの統語論的レベルで起きることもある。 I never make predictions, especially about the future.(とくに未来について私は決して予測をしない) - ヨギ・ベラ 「予測」は「未来」についてするものであるからこれは冗語的と言える(しかし例えば「私は彼が一週間前に死んだものと予測する」というような、過去の出来事に関する予測はありえる。この場合、予測しているのはその死に関する将来の発見であり、死んだという出来事ではない)。もっともこの言葉はユーモラスな効果を狙ったもので、イロニー的な言葉遊びである。 Topless-shmopless—nudity doesn't distract me.(トップレス・shmオップレス—裸は私を取り乱せない) - shm反復(Shm-reduplication)はユーモアを生むために使われる反復法。イディッシュ語が、とくにアメリカ合衆国東海岸の現代英語に影響を与えた結果。 ユーモア以外にも、冗語が強調のために使われることもある。 I abso-damned-lutely agree!(文字通りに訳せば「私は絶-とても-対同意できない!」) - 「absolutely(絶対)」の間に「damned(まったく)」が挿入されている(Expletive infixation参照)。 編集者や文法に凝る人が単純な言葉遣いに冗語を用いることもあり、それはProlixityあるいはLogorrhoea(病的多弁)とも呼ばれる。 泥棒の物音はうるさい音楽の音にまぎれた 泥棒の物音はうるさい音楽にまぎれた 読み手・聞き手は、わざわざ音楽が音を持っていると説明してもらう必要はなく、また新聞の見出しや簡潔な散文で「泥棒は音楽にまぎれた」と書かれてあれば、「泥棒」は「泥棒の物音」のことで、音楽はそれをかき消すくらいうるさかったに違いないと推測することはできるだろう。しかし、多くの人々は新聞の見出しやニュース形式の極端に省略された構文には批判的で、「うるさい」「泥棒の物音」を冗語の類とは考えず、情報量が多く理解しやすい表現と思うだろう。 さらに冗長さは、曖昧に言ったり、婉曲的に言ったりする時にも使われる。しかし、必ずしも冗長でなければいけないわけではない。 shellshock(戦争神経症)→Post-traumatic stress disorder(外傷性ストレス障害、PTSD) used car(中古車)→pre-owned vehicle(中古の車) これらは誇張した婉曲表現だが冗長ではない。冗長な形式は、ビジネス用語、政治用語・アカデミックな用語では、響きを考慮して(あるいは、実際に約束することが難しいのでぼかすか、誤読されることを意図して)普通に用いられている。 この四半世紀、我々は目下すべての新しいことの決断とともに注目し続けているのは、会社の消費者優先のパラダイムをできるだけすみやかに市場にもたらすよう企画制作された消費者重視の対外的プログラムの急激な拡大のための斬新かつ円満な方法論と枠組みである。 冗長性と対照的に、2つの一見矛盾している語が結びついた結果として起こるのが撞着語法である。
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