御嶽講とは? わかりやすく解説

御嶽講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:51 UTC 版)

御嶽山」の記事における「御嶽講」の解説

御嶽山の登拝は行者信者一緒にその聖地巡礼する旅(御嶽参り)でもある。講者ごとに先達せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。普寛行者没後有力な行者次々と現れ、この信仰により病苦救われる信頼され最初に江戸など関東地方普寛行者系の御嶽講社が開かれたその後普寛行者弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、1769-1841年)が東海地方宮丸講を初め開き覚明行者系の講社愛知県中心に西日本へと広まった濃尾平野農民木曽川水源となる御嶽山水分神の山として尊崇していた。木曽谷地域でも普寛行者系の講社次々と結成された。各講の先達の魂は霊神として、その碑が御嶽山の登拝道に鎮められている。この「死後我が御霊お山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰特徴一つである。江戸時代から関東尾張から中山道利用されていたが、1919年大正8年)の中央本線全線開通すると木曽福島駅から御嶽山歩き始めようになった1923年大正12年)に木曽森林鉄道敷設された後、木曽福島駅から黒沢王滝までおんたけ交通乗合バス利用されるようになった1966年昭和41年)に有料道路林道黒石線全線開通すると貸切バス直接王滝口田の原へ入ることができるようになり、1971年昭和46年有料道路白崩林道全線開通すると貸切バス直接黒沢口中の湯まで入ることができるようになった。現在は天気安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い。黒沢口から8合目女人堂経て山頂往復するか、黒沢口から山頂経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂往復するか、王滝口から山頂経て8合目女人堂経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い。

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御岳講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 12:27 UTC 版)

部田春日神社」の記事における「御岳講」の解説

この神社では御嶽講も行われており、神域北端には御嶽神社駒ヶ岳神社勧請されている。また御岳神社前には御岳講のための拝殿設けられている。

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