御嶽講
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御嶽山の登拝は行者と信者が一緒にその聖地を巡礼する旅(御嶽参り)でもある。講者ごとに先達(せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。普寛行者の没後有力な行者が次々と現れ、この信仰により病苦が救われると信頼され、最初に江戸など関東地方に普寛行者系の御嶽講社が開かれた。その後、普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、1769-1841年)が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社が愛知県を中心に西日本へと広まった。濃尾平野の農民は木曽川の水源となる御嶽山を水分神の山として尊崇していた。木曽谷の地域でも普寛行者系の講社が次々と結成された。各講の先達の魂は霊神として、その碑が御嶽山の登拝道に鎮められている。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴の一つである。江戸時代から関東や尾張から中山道が利用されていたが、1919年(大正8年)の中央本線が全線開通すると木曽福島駅から御嶽山へ歩き始めるようになった。1923年(大正12年)に木曽森林鉄道が敷設された後、木曽福島駅から黒沢と王滝までおんたけ交通の乗合バスが利用されるようになった。1966年(昭和41年)に有料道路林道黒石線が全線開通すると貸切バスで直接王滝口の田の原へ入ることができるようになり、1971年(昭和46年)有料道路白崩林道が全線開通すると貸切バスで直接黒沢口の中の湯まで入ることができるようになった。現在は天気が安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い。黒沢口から8合目の女人堂を経て山頂を往復するか、黒沢口から山頂を経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂を往復するか、王滝口から山頂を経て8合目の女人堂を経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い。
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御岳講
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 12:27 UTC 版)
この神社では御嶽講も行われており、神域の北端には御嶽神社、駒ヶ岳神社が勧請されている。また御岳神社の前には御岳講のための拝殿も設けられている。
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