後年の経歴と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 23:39 UTC 版)
「ビッグ・ママ・ソーントン」の記事における「後年の経歴と死」の解説
1970年代になると、長年の深酒がソーントンの健康を害し始めた。彼女は自動車事故で重傷を負ったが、後には回復して1973年のニューポート・ジャズ・フェスティバルにマディ・ウォーターズ、B.B.キング、エディ・"クリーンヘッド"・ヴィンソン(英語版)とともに出演し、その録音は、『The Blues—A Real Summit Meeting』と題されて、ブッダ・レコード(英語版)からリリースされた。ソーントンの晩年のアルバム『Jail』と『Sassy Mama』は、1975年にヴァンガード・レコードからリリースされた。録音セッションで残されたその他の曲は、2000年に『Big Mama Swings』というアルバム名でリリースされた。このうち、『Jail』には、1970年代半ばにアメリカ合衆国北西部の2カ所の刑務所で行われたコンサートにおける演奏を記録したものである。彼女のバックは、ジョージ・ハーモニカ・スミスの引き延ばされたハーモニカの音に、ダグ・マクロード(英語版)、ビー・ヒューストン (Bee Houston)、スティーヴ・ワクスマン (Steve Wachsman) といったギタリストたちと、ドラマーのトッド・ネルソン (Todd Nelson)、サクソフォーン奏者のビル・ポッター (Bill Potter)、ベーシストのブルース・シーヴァーソン (Bruce Sieverson)、ピアニストのJ・D・ニコルソン (J. D. Nicholson) が務めた。ソーントンは、合衆国とカナダを集中して回り、ヒューストンのジューンティース・ブルース・フェスト (the Juneteenth Blues Fest) にも出演して、ジョン・リー・フッカーと共演した。1979年、彼女はサンフランシスコ・ブルース・フェスティバル(英語版)に出演し、1980年にはニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した。1970年代初め、ソーントンの性的指向が、ブルース・ファンたちの間で話題となった。ソーントンは、このころ「ブルース・イズ・ア・ウーマン (Blues Is A Woman)」と題されたコンサートにも出演したが、伝説的なブルースの女性シンガーソングライターだったシッピー・ウォーレス(英語版)と共演したソーントンは、男性のスリーピース・スーツをまとい、麦わら帽子に金時計といういでたちであった。彼女はステージの中央に座り、プログラムになかった、彼女が演奏したかった曲を演奏した。ビッグ・ママ・ソーントンは、このほかにもモントレー・カウンティ・フェアグラウンド(英語版)で開催されたトライバル・ストンプ (the Tribal Stomp at Monterey Fairgrounds)、第3回サクラメント・ブルース・フェスティバル (Third Annual Sacramento Blues Festival)、ロサンゼルス・バイセンテニアル・ブルース (the Los Angeles Bicentennial Blues) に出演して、B.B.キングやマディ・ウォーターズと共演し、俳優のハル・ホルブルックとアレサ・フランクリンが進行役となったABCテレビの特別番組にゲストとして出演し、さらに各地のクラブを回った。また、いろいろな賞を受けた公共放送サービス (PBS) の特別番組『Three Generations』のブルースの特集にも、シッピー・ウォーレスやジェニー・チータム (Jeannie Cheatham) とともに出演した。1984年7月25日、57歳だったソーントンは、ロサンゼルスの寄宿先で、医療スタッフによって既に死亡しているところを発見され、死因は長年のアルコールの過剰摂取による心臓と肝臓の合併症とされた。この死に至った危険な状況の中で、もともと350 to 395ポンド (159–179 kg)ほどあった彼女の体重は、短期間に急減し、255ポンド (116 kg)ほども減っていたという。
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