後年の著作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 13:01 UTC 版)
「ベルナール・フォントネル」の記事における「後年の著作」の解説
フォントネルはルーアンに地所をもっていたが、1687年からパリに居住した。同年、『神託の歴史』を出版。神学者や哲学者たちのあいだで物議を醸した。この書物は2篇からなり、前半では神託が超自然的な霊から得られるものではないことが証明され、後半ではイエスの誕生後も神託が続いていることが証明される。こうした内容のせいでこの本は当時のカトリック教会から睨まれ、バルテュスというイエズス会士には長々しい反駁書を書かれている。しかしフォントネルは論争を嫌い、応酬しなかった。 翌1688年には『古代人と近代人余談』を世に問い、当時知識人たちの意見を二分していた新旧論争について、近代派の側に立つことを宣言した。その後まもなく現れた『機会原因にもとづく物理体系への諸疑問』ではマールブランシュ批判を展開した。 フォントネルは当時の知識人たちのあいだではヴォルテールと並ぶ卓越した地位を占めていた。しかしヴォルテールとは違って論争を避け、敵を作らなかった。批判的な思考を好む傾向と、貴族社会の中で愛嬌を振りまき世渡りをしていくこととの間でうまくバランスを取っていた。
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